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呂布が董卓を殺害する

三国志入門


十章:江東の虎

時代は反董卓連合軍が解散し、孫堅が壊滅状態で長沙(ちょうさ)に帰国します。

群雄割拠として各地では富国強兵を行い、孫堅も自国の安泰を図るのでした。孫堅の領地は荊州(けいしゅう)の一州として広大な場所であります。同盟国の袁術がある日、孫堅に劉表を攻めるように進言してきました。

孫堅は将来の孫家安泰のために、襄陽(じょうよう)の黄祖(こうそ)を攻めました。連戦の末、襄陽を取り囲み勝利目前でしたが、孫堅は敵の矢を浴びてまさかの戦死で孫堅軍は壊滅します。

残った孫堅軍は同盟国の袁術の傘下に加わり、長男の孫策が跡を継ぐことになります。

演義では孫堅は皇帝だけが持つとされる皇帝の証・玉璽(ぎょくじ)を手に入れており、孫策は袁術にこれを差し出し、兵1000人を借りて独立しました。

袁術はこれを大いに喜び、玉璽手中したことを天命として自ら皇帝を名乗ったのです。

孫策はわずか19歳にして武芸は父孫堅を凌ぐ立派な人物に成長します。そして、旧友である周瑜を説得し、名士で知られる張昭(ちょうしょう)、張紘(ちょうこう)らを加えます。更に、孫策は海賊を討伐してそれを軍に加えて、周泰(しゅうたい)、甘寧(かんねい)、韓当(かんとう)、董襲(とうしゅう)など、後に呉を支える将らを増やすことになりました。

また、袁術傘下時代に親交のあった魯粛(ろしゅく)から援助を得て着々と孫家の復興を目指すのでありました。そして孫策はまず地盤を固めるために、江東の劉ヨウ(りゅうよう)を攻め滅ぼし、太史慈(たいしじ)を加えて勢力を拡大、呉郡の厳白虎(げんはっこ)、陸康(りくこう)らを攻め呉を統一します。

更に、父の仇であった黄祖を攻めて滅ぼし、江東、江南を制覇することになります。若き二人の孫策の武芸と周瑜の智謀が天下に轟き、一度は失いかけた孫家が復活するのです。

この時、曹操は呂布を滅ぼし中原を制しており、孫策は曹操と対立姿勢であったのです。曹操は北に袁紹、南に孫策と挟まれ脅威に直面していたかもしれません。

しかし、呉を統一する際に滅ぼした許貢(きょこう)の残党が孫策を襲撃、重症を追いわずか26歳でこの世を去ることになります。跡継ぎに、弟の孫権(そんけん)を指名して、「外事は周瑜、内事は張昭」と遺言を残します。

その直後の200年に、曹操は孫策の死を安心し、北方の袁紹と一大決戦を迎えるのでした。