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曹操と劉備の英雄論

三国志入門


十一章:白馬・官渡の戦い

200年、曹操は袁紹と真っ向から戦うことになりました。

兵力、人材において袁紹は遥かに曹操を上回っておりました。曹操は袁紹との戦いが天下分け目であることを重々承知しており、内心不安でいっぱいだったのでしょう、悩むことしばしばありましたが、重臣の荀イクは、「袁紹軍は心一つに在らず、将兵は烏合の衆に過ぎない」と常々曹操を立ち直らせ自信を持たせました。

確かに袁紹陣営はまとまっていなかったのです。袁紹自身が元々優柔不断であり、重臣らの派閥が嫡子による両家分断が始まっており、優秀な人材が豊富な曹操軍にとって負ける要素はないと核心していたのが荀イク、荀攸、程イク、そして郭嘉でした。

まず荀イクは許昌に留まり各地を睨みきかせ、白馬において荀攸、程イクらが策を練り、袁紹軍の顔良(がんりょう)を関羽に討たせ、文醜(ぶんしゅう)を挟撃して討ち取るのでした。

更に官渡において両軍にらみ合いますが、曹操軍は兵糧が足りず深刻となり、曹操は一時撤退を考えますが、郭嘉は「必ず袁紹軍は自滅する」と進言、更に留守中の荀イクも手紙で励まして、これを信じ曹操は我慢します。

一方、袁紹陣営では派閥での対立で政策が進まず、これに嫌気をさした許攸(きょゆう)が曹操に寝返り、袁紹軍の軍事物資がある手薄の烏巣の場所を教えてしまい、曹操軍は総攻撃をかけて敵将淳于瓊(じゅんうけい)を討ち取ります。

更に袁紹軍の先鋒隊であった張コウ(ちょうこう)と高覧(こうらん)が曹操に降伏したことに戦局は一変、袁紹軍は壊滅し一大決戦に曹操が勝利することになります。

また、袁紹の元で客将としていた劉備は、汝南で張飛らと合流して背後を突きますが、荀イクと曹仁に阻まれ敗走します。

曹操はこの官渡の戦いで勝利したことにより、事実上天下の三分の二を手中することになるのでした。

劉備、張飛は再び関羽と合流して、道中において趙雲(ちょううん)、周倉(しゅうそう)ら加え、荊州の劉表を頼り南下することになります。

北方の袁紹は陣営を立て直す間もなく病死してしまい、跡継ぎ争いで袁家は分断、三男の袁尚(えんしょう)が独立し、長男の袁譚(えんたん)は曹操に降ります。しかし、曹操軍の曹洪、曹純、曹仁、張遼、李典、楽進など精鋭部隊が破竹の勢いで攻め、更に郭嘉の作戦によりついに遼東まで制覇して、袁家を絶滅させ北方を完全掌握させます。

この勝利に引き換えとしては余りにも大きい悲劇が、この戦いで郭嘉が若くして病死しまうことでした。これが後の曹操にどれだけ影響を受けるのか・・・。

こうして曹操は誰もが簡単に手出しできないほどの強国となり、位も皇帝のナンバー2的存在の丞相(じょうしょう)に就任します。

劉表を頼った劉備は、古城の新野を拠点とし、明日をも知れない日々を過ごすことになります。

さて、次回からは演義の主人公、劉備を中心に描かれることが多く、そして苦労の末、どのようにして曹操と対等に戦える勢力を手に入れるのか・・・

かの天才軍師との出会いが待っていたのでした。