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曹操と劉備の英雄論

三国志入門


十三章:三顧の礼で臥龍立つ

劉備はすぐに臥龍・諸葛亮孔明(以下孔明)を迎えるために支度をしました。

関羽張飛らも賛同し、孔明の住む屋敷へと向かうのですが、孔明は留守をしておりいつ戻るかわからないとのことで、一度目は出会うことできませんでした。

そして二度目、真冬の雪が覆う中、また再び劉備は関羽張飛らと共に孔明のところに訪れるのですが、今度は旅に出てしまい、いつ戻るかわからないとのこと。そこで劉備は手紙を綴り、成果もなく戻るのです。

三度目、劉備は再び孔明を迎えに行こうとしました。しかし張飛は手紙も渡したことだし、呼び出せばよいと進言するのですが、劉備は丁重に迎えたいと大事に考えていたのです。

普通、劉備の身分と臣下の立場として、当時としては考えられないことであり、張飛としては面白くなく、また孔明がいかに素晴らしい人物なのか図ることができないことに苛立ち、張飛は猛反対するのですが、劉備が熱心なことに何も云えません。

三度目の孔明屋敷に訪れると、今度は孔明は昼寝をしていました。劉備はあえて孔明を起こさず、じっと孔明が起きるのを待っているのです。張飛はそれが気に入らず激怒しますが、関羽は劉備の気持ちを察し、張飛を説得する場面が演義で描かれております。

孔明は何も知らず起床すると、劉備の存在に気づき礼服に着替えいよいよ二人は対面することになりました。

劉備は天下泰平のために力を貸して欲しいと言いました。しかし、孔明は頑なに断るのでした。劉備は現状における自分の未熟さ、そして天下泰平のために尽力したい気持ちを素直に話しました。

孔明は言いました。「北には大国曹操が帝を蔑にし一大勢力を築き、東には江東を挟む孫権の勢力在りし、天下は既に固まり制すること容易ではありません」

更に言いました。「まずは磐石なる土台として領地を制し天下泰平のために対抗できる勢力を養うことです」

劉備は「未熟な私にはどうすることはできません、現状彼らを凌ぐことできるのでしょうか」

すると孔明は「できます!北に曹操、東に孫権、されば、西の巴西、蜀を土台とし彼らと対抗、ここに三国を鼎立するのです」

これが有名な孔明の天下三分の計であります。

劉備は熱心に語らい続け、孔明は天下にまだ名も届かない自分のために尽くしたことに感銘し、ついに孔明は劉備の軍師として立つのでした。

当時孔明は27歳であり、世に出ることを嫌い雨読晴耕な生活をしていただけに、劉備家臣らは身分だけで面白くなく、彼に疑問を持つ者もいました。しかし、劉備は彼を厚く持て成し、何をするも孔明孔明と信頼は甚大でした。

一方、劉備の元を離れた徐庶は、母と対面しましたが、母は自分が原因で劉備の元を離れたことに悲しみ、自殺してしまいました。徐庶は深くショックを受けますが、曹操が徐庶の母を手厚く埋葬し、その恩恵にて曹操軍に留まることになりました。

次回は、ついに孔明の実力が発揮され、そして劉備に過酷な戦いが待っていたのです。

ついに臥龍を手中にした劉備・・・
人生齢50にして城を持たず、流浪を続けて数十年。

ここから彼のサクセスストーリーが始まるのでした。