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十七章:劉備の荊州制覇

赤壁で勝利を得た連合軍の動きは素早く、まず周瑜は南郡の曹仁を攻略することが戦果の収益として重要視したのです。

曹仁は曹操軍の歴戦の猛者、簡単に落とせるはずもなく両軍は膠着状態となります。周瑜は赤壁の戦いの矢傷で高熱を出すと、曹仁はその隙を狙って攻めてきますが、既に備えあり、曹仁軍を伏兵で撃退させます。

しかし、劉備軍の趙雲が曹仁の留守を突き、南郡を占拠してしまいました。

周瑜は怒り劉備軍を討とうとしますが、連合軍が争うのは曹操が喜ぶだけであると魯粛が説得、領地を持たない劉備が一時預かる形で和平するのでした。

更に劉備は、幕僚に馬良(ばりょう)、伊籍(いせき)らを登用して、関羽張飛趙雲らを用いて孔明の策により荊州全土を制覇し、黄忠(こうちゅう)、魏延(ぎえん)らを配下に加えます。

ここで初めて劉備は自分の領地を手にいれ、武官文官合わせて一国を築くことになりました。呉の魯粛は、孫権の父君、孫堅が元荊州長沙太守であることによる理由に、領土返還を求めますが、孔明は、巴西の蜀を掌握した際に荊州を返還するという約束し、その場を凌ぎます。

劉備が大きく台頭したことに周瑜は脅威を抱き、内心暗殺を決めるのでした。しかし、両軍の仲を疑われないために、孫権は献帝に特使を送り、劉備を荊州牧に推薦し、帝もそれを認め、正式な荊州の所有者となるのです。

演義では周瑜は劉備を呼び寄せ暗殺するために、政略結婚を狙うのでした。孫権の妹・孫尚香(16歳)を花嫁として、劉備(50歳)は結婚するのです。

暗殺目的の結婚でしたが、孔明や孫尚香らに阻まれ結局失敗し、天下では両家が強い絆で結束されたことが伺えたのでした。

周瑜は劉備暗殺のために「道を借りて草を枯らす計」にて、代わりに蜀を討伐し劉備に差し出す条件に荊州の返還を求めましたが、孔明は既に計を露見し見事に塞がれてしまい、またも周瑜は孔明の前に失敗します。

心痛と矢傷が原因で周瑜は倒れ、わずか36歳で病死することになります。
演義では孔明に翻弄され短気になる周瑜が描かれておりますが、正史ではそのような記述はなく、矢傷が元で死去します。

その後、周瑜の跡を魯粛が継ぎ、劉備を同盟国として曹操との対立は激しくなるのでした。

さて、曹操、孫権、劉備らがついに三国対立することになるのですが、次回は西涼の馬騰(ばとう)、長男の馬超(ばちょう)が登場します。