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曹操と劉備の英雄論

三国志入門


十九章:巴西蜀への道

馬超が曹操軍に敗れ、漢中の張魯を頼ったこの場所は、蜀と長安の間に位置する重要な拠点でもあります。

張魯とは、五斗米道(ごとべいどう)の指導者として宗教をまとめる群雄であります。当時は宗教により善政によって漢中は栄えて誰も手出しできないほどでした。

蜀は劉璋(りゅうしょう)が統一しており、張魯は劉璋に家族を処刑された恨みより敵対しております。張魯は劉璋の蜀を奪い王になることを野望にしておりました。いよいよ動きが活発となるや、劉璋は張松(ちょうしょう)を使者として、曹操に援軍を求めるために派遣します。

張松は曹操に出会うのですが、張松を田舎者扱いしたり、役人が賄賂を求めたりすることに嫌気をさし、演義では曹操を冒涜などして百叩きの刑に処せられました。

張松は曹操を見切りつけ、帰り際に天下では評判の良い荊州の劉備を訪ねることにしました。すると劉備は手厚く張松を迎え入れ、どんな些細なことでも気を遣い気持ちよく使者を持て成すのでした。

張松は帰国し、劉璋に劉備を援軍として迎えるよう薦めます。劉璋も許諾しますが、周りの重臣は、劉備は曹操より恐ろしい人物として反対します。中には命をかけてまで劉璋に訴えかけますが、劉璋はそれを聞き入れず劉備に援軍を求めるのでした。

孔明は天機として、新しく軍師として加わったホウ統と共に軍を統制して、劉備は援軍に向かうのでした。

当初、劉備は劉璋と友好を交えお互い問題なかったのですが、それぞれ家臣らは内心争いごとにならないよう血気になります。

張松は、友人の孟達(もうたつ)、法正(ほうせい)らと計らって蜀を劉備に差し出すことを密談し、劉備軍のホウ統らもその機会を伺いました。しかし劉備は、人の道に反するやり方はしたくない理由に断り、援軍として張魯と対峙することになるのでした。

しかし、張松の兄、張粛(ちょうしゅく)に密談の手紙を見られそれを劉璋に密告され処刑されるのでした。

劉璋は怒り、劉備に軍事物資を与えず、軍を動かして劉備を捕らえようとします。しかしそれを予知したホウ統は逆に劉璋軍を撃退し、ここで両軍初めて戦うことになります。

劉備軍が善戦の中、劉璋軍のラク城を攻略中、流れ矢に当たってホウ統が不運の戦死をしてしまいます。これにより劉備軍は大苦戦し、劉璋軍の名将・張任(ちょうじん)に敗れるのです。

演義ではホウ統は、落鳳波(らくぼうは)にて張任の奇襲に合い戦死します。

荊州に残っていた孔明は、戦況を伺い、張飛趙雲らに先鋒として援軍を送り、孔明も蜀へ向かうのでした。

次回はついに劉備が蜀を制覇し、そして馬超を加え三国鼎立となります。