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三国志入門


二十八章:街亭の戦い

北伐を興した蜀軍は趙雲を先鋒に魏の長安を目指して攻め込むのでした。

魏はすぐに夏侯楙(かこうぼう)を命令して趙雲を迎撃しますが、百戦錬磨の趙雲に敵うはずもなく、散々な目に遭うのです。更に演義では関興、張苞の軍にも挟撃され、夏侯楙は捕獲されてしまいます。

西涼制圧が北伐の第一の作戦として捉えていた諸葛亮は、拠点を占拠して順調に蜀の勢いは増すばかりで、長安陥落は近いと魏国で大変な騒ぎとなっていたのでした。また、蜀には麒麟児として文武両道な若武者・姜維(きょうい)が加わります。

魏の皇帝曹叡(そうえい)はすぐに曹真を大都督として蜀と対峙させますが、諸葛亮の計略に成すすべもなく、敗退してしまうでした。それほど蜀軍は日の出る勢い、まさしく破竹だったとされます。

しかし、魏は諸葛亮に対抗できるのは司馬懿しかいないとして、官職を剥奪した司馬懿を復権させたのです。これに驚いた諸葛亮は、司馬懿なら蜀軍の背後を突き、兵糧攻めを狙うとして、街亭(がいてい)に殿(しんがり)を置くことにします。

すると馬謖は自ら街亭の守りに名乗り出たのです。諸葛亮は暫く考えて、王平、高翔らを同行させ、更に馬謖には用心に用心を重ね、山道に陣を敷いて対峙せよ、と命令を下すのでした。

馬謖は功を焦っていました。この街亭を抑え、魏の動きを止めることにより長安を奪取すれば、馬謖はその功で出世は間違いなかったのです。馬謖は街亭に到着すると周囲を見渡し言うのです。

「丞相(諸葛亮)は用心深い。大軍に囲まれぬためには山上に陣を張ればよかろう。魏が攻めてこようと山上より破竹の勢いで撃退できる。」

すると副将の王平は命令に従うように馬謖を説得しますが、聞き入らず馬謖の本隊は山上に陣を敷いたのでした。王平はすぐさまこのことを諸葛亮に知らせるために伝令を飛ばし、わずか兵五千で山道で守りを固めることになったのです。

その頃、司馬懿は張コウと共に蜀の背後を突くために街亭へ到着していたのでした。司馬懿は既に蜀軍がいることに驚き、やはり諸葛亮には勝てないと嘆くのです。しかし、蜀軍の様子を伺うと、蜀軍は山道ではなく山上に陣を敷いているのをみて、目を疑ったのです。まるで攻め取ってくれといわんばかりの愚策だったのでした。

司馬懿は山上にいる馬謖軍を包囲し、張コウ、郭淮、司馬師らに命令して牽制します。馬謖軍は数日間、食料、水の補給ができずやがて底をつき、馬謖軍の士気は低下して大半の兵が降伏してしまうのです。

山道にいた王平と高翔は司馬懿の大軍には敵わず、あっけなく街亭は魏に取られてしまうのでした。諸葛亮はその一報を聞いて驚き、全軍で漢中へ引き上げてしまうのです。司馬懿は、馬謖が山道に守りを固めていれば、大軍で敵を囲むこともできず、長安は奪われていただろう、諸葛亮は恐ろしい人物と評価するのでした。

この敗戦の責任として馬謖は諸葛亮より処刑を言い渡されるのです。人材不足の中、更に諸葛亮が自分の跡継ぎとして育ててきただけに惜しまれますが、今後において軍律を守るためにも、良将であろうと許されないことを示すためにも馬謖は処刑されるのでした。

これが世にいう「泣いて馬謖を斬る」の故事成語となったのです。

この厳しい決断に迫られた諸葛亮の心中は計り知れないことだと思います。また、この敗戦の責任を感じて諸葛亮も自ら丞相から右将軍に降格するのでした。