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三十六章:司馬昭実権を磐石す

魏では司馬氏政権に不満を持ち反乱が起きました。

寿春(じゅしゅん)において諸葛誕(しょかつたん)が反乱し立てこもりました。呉もこれに呼応して援軍を送りますが、司馬師はトウ艾の策略で諸葛誕を破るのでした。

諸葛誕は共に反乱した文欽(ぶんきん)と作戦上のウマが合わず殺してしまい、これに恨んだ文欽らの子が開場して魏に降ります。いとも簡単に諸葛誕の乱は鎮圧されます(寿春の乱)。

その後、最高権力者である司馬師は目癌が原因で死去し、弟の司馬昭が実権を握ることになります。

蜀の姜維はついに第八次北伐軍を興しました。善戦してトウ艾軍を破って包囲し、あと一歩のところだったのですが、蜀の宦官・黄皓の讒言により退却を余儀なくされます。これが姜維の最後の北伐でした。

魏の司馬昭は、度重なる司馬氏抹殺をもくろく人物らを排除し、魏の皇帝・曹芳さえも皇帝から引きずり落として曹髦を皇帝に即位させました。自分の都合の良い人間を利用し、司馬昭に逆らえる人物は無く、磐石な体制と云えます。

更に司馬昭は、蜀の内政が腐敗していることを察知し、トウ艾、鍾会らに命じて蜀討伐軍を進めました。

姜維もすぐに成都へ救援を求めますが、宦官の黄皓に阻まれてしまいます。

漢中の要所を守る蜀の蒋舒(しょうじょ)が魏に寝返り、傅僉(ふせん)が戦死するなど、陽平関が落ちるや漢中は魏が制圧してしまいます。姜維はすぐに要害絶壁な剣閣にて、張翼と共に死守しました。

姜維も精鋭蜀軍をうまく使い、魏軍を抑えよく守り抜いていたのです。かつて諸葛亮から譲り受けた連弩(れんど)を使って魏兵を脅かし、落石の計で鍾会軍を食い止めたのです。

しかし、魏の名将であるトウ艾、鍾会は姜維の守る剣閣より別のルートを探して背後を突くのでした。