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三国志入門


五章:反董卓連合軍結成

董卓が首都洛陽で日々贅沢三昧、欲に溺れ、民を苦しめる背景に誰も手出しができなかったのは、常に呂布の存在がありました。

呂布は、何度も言うように武芸において右に出る者が無く、腕力も常人を超えた猛将です。演義では呂布は丁原の養子として何進の檄文に召集されて洛陽入りをし、丁原が董卓と対立するとそれを阻み、周囲を威嚇しておりました。

董卓の配下李粛が呂布に名馬・赤兎馬を与えて寝返らせようと進言し、欲に釣られた呂布は丁原を殺害して軍を引き連れ、董卓の軍門に降るのです。呂布はその日から、董卓を董亜父(父当然)として慕い、その関係は頑固たるものに見えました。

洛陽では董卓の横暴が蔓延る中、陳留に逃げ延びた曹操は、一族の夏侯氏(かこうし)の協力により、旗揚げし五千の兵で独立します。そして各地に董卓討伐の檄文を送り、反董卓連合軍を結成させます。(正史では張バクが檄文を送る)

反董卓連合軍は袁紹が盟主となり、孫堅や孔融、韓馥など名だたる人物らが集まり、また劉備も一兵卒として参加することになります。
董卓は直ちに武芸達者な華雄を派遣して対立しますが、関羽に討たれます。(正史では孫堅)

そしていよいよ呂布が登場し、演義で有名な虎牢関(ころうかん)での三傑(劉備、関羽、張飛 vs 呂布)一騎討ちの名場面が描かれております。

連合軍の勢いを恐れた董卓は、洛陽で金銀財宝を略奪し、首都である洛陽を焦土して長安に遷都しました。

その後、連合軍優勢に思えたのですが、袁紹が一番活躍していた孫堅軍の勢いを恐れ増援物資を送らず、その隙を付かれて孫堅軍は敗退し、曹操は単独行動により董卓軍の徐栄に伏兵の計で全滅、更に連合軍内での確執が起きるなどで解散してしまいます。

董卓は手を叩いて喜び、再び長安で独裁政権安泰かと思われましたが、漢の司徒・王允(おういん)が呂布をそそのかし、再び呂布は董卓を裏切り殺害するのでした。
内心快く思ってない将兵らが董卓の死体を切り刻んで燃やしたエピソ-ドがあり、董卓は相当恨まれていたのが伺えます。

演義では、王允が娘・貂蝉(ちょうせん)という絶世の美女を呂布に差し出すのですが、董卓が貂蝉を奪ってしまい、それに烈火の如く怒り殺害してしまうのです。
正史によると、董卓はしばしば短気で、ある日怒りに任せて呂布に短剣を投げつけましたが、それを見事にかわし事無きに終えたかのように思えましたが、それ以来呂布は董卓に不満を持ち、更に二人の間に溝ができたことが発端で殺害したと描かれております。

呂布がそのまま権力を手にするかと思いきや、董卓中央軍の李カク、郭汜らに敗れわずか数百騎で長安から逃げることになります。また、暗殺をそそのかした王允も捕獲され処刑されるのでした。

こうして董卓の恐怖政治の横暴は幕を閉じ、時代は群雄割拠へと流れて勢力を伸ばす群雄らが対立することになるのです。

次回は、曹操と劉備のその後の行動についてお話しましょう。