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三国志入門


八章:呂布の最期

曹操と呂布の戦いに決着がつく前に、度々登場する袁紹(えんしょう)、そして弟の袁術(えんじゅつ)についてお話しましょう。

袁家は、三代に渡って三公(役職)を輩出した名門であり、漢を支えた一族であります。三公とは政治分野において最高の位にあたる重職でその名声は伺えます。

袁紹は大将軍何進の参謀として仕え、中常侍の抹殺や反董卓連合軍の盟主としても活躍しており、彼に多くの人材が集まったのは間違いありません。連合軍解散後、北方において韓馥(かんふく)を騙し自殺に追い込み、領土を拡大させました。それに対して同じく北方の遼東(りょうとう)に領地を構える公孫サン(こうそんさん)は激しく対立し、睨み合うようになります。

袁紹が慕っていた劉虞(りゅうぐ)が、公孫サンに滅ぼされたことにより両者は激しく戦うことになります。また、弟の袁術とも馬が合わず、あげくは兄弟同士で争いをし、袁紹は曹操と連合して袁術を敗走させました。袁術は揚州に領地を構え、兄弟同士敵対することになります。その頃に董卓は呂布に殺害されます。

袁紹は激しく公孫サンを攻めて滅ぼし、北方全土を掌握し一大勢力を築きます。曹操は呂布と対立し、中原において呂布を退け、ここにも一大勢力が誕生するのでした。

さて、その後の呂布ですが、頼るところなく徐州の劉備を訪ねます。劉備は丁重に迎え、呂布を向かえいれたのです。関羽や張飛らが反対するも劉備は呂布を信頼しました。

ある日劉備は、徐州付近において袁術、楊奉(ようほう)、韓暹(かんせん)らが戦乱を起こしたのを見かねて討伐に出陣し、見事に楊奉、韓暹を討ちます。しかし、呂布は劉備の留守をついて徐州を占拠してしまいます。

帰る場所がない劉備は曹操を頼り、曹操と劉備は連合して呂布と対立することになります。呂布は袁術と同盟を結びますが、曹操の大軍に城を囲まれ動くことができず篭城します。曹操軍は、水攻めにより城ごと水没で氾濫させ、士気を弱める策に出ます。

すると、呂布の配下、侯成(こうせい)、魏続(ぎぞく)、宋憲(そうけん)らが裏切り、呂布を縛りつけ曹操に差し出しました。篭城していた陳宮、高順(こうじゅん)らも降伏し、呂布は縛り首とされ、陳宮と高順は斬首され、呂布の裏切りの人生に幕を閉じます。

裏切りを重ねた人生が、最期には自分の部下に裏切られるなんとも因果応報な生涯ですね。

呂布は最期、曹操に自分を家来にしてくれと交渉しますが、悩む曹操に劉備が助言してそれを断り、呂布は劉備に罵声を浴びせて処刑されるエピソードがあります。

こうして曹操と劉備によるひとつの盟友が誕生したかのように思えますが・・・

次回は冒頭にもありました袁紹、袁術らと曹操の覇権をかけた戦いについて語ります。