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出師の表

魏伝


許褚 仲康きょちょ ちゅうこう

姓名許褚
仲康
生没年生没年不詳
所属
能力 統率:  武力:  知力:  計略:  政治:  人望:
推定血液型不明
諡号壮侯
伝評怪力で曹操を守り、魏随一の猛将
主な関連人物 曹操 許儀 
関連年表 197年 張繍討伐
200年 官渡の戦い
211年 潼関の戦い

略歴

許チョ(チョは「ネ偏」に「者」)、字を仲康といい、ショウ(「言偏」に「焦」)国ショウ県の人である。兄は許定、子は許儀がいる。

身長八尺余、腰まわりは大きくて十囲(囲は五寸)あって相撲取りのような体格で、容姿はおおしく毅然とし、武勇・力量は人なみはずれていた。

漢の末期、若者と一族数千家を集め、いっしょに城壁を固めて侵略を防いだ。当時、汝南の賊一万余人が許チョの砦を攻撃した。許チョの軍勢は少なくて敵対できず、力の限り戦って疲労困憊した。兵器・矢弾も尽き果てたので、砦の中にいる男女に命じて湯呑みか、ますほどの大きさの石を集めて砦の四隅に置かせた。許チョは石を投げ飛ばすと、敵は思いっきり進んでこなかった。

食糧が乏しかったので、賊と和睦するとだまし、牛を賊に与え食糧と交換した。賊はやってきて牛を受け取ったが、牛はすぐに逃げ帰ってきた。許チョはそこで陣営の前まで出て、一本の手で牛の尾を逆にひきずって、賊の方へ百余歩歩いた。賊どもは仰天し、そのまま牛を受け取る勇気もなく逃走した。

このことから、淮・汝・陳・梁のあたりでは、伝え聞いてみな、彼を恐れはばかった。

曹操が淮・汝を攻め落とすと、許チョは軍勢をつれて曹操に帰服した。曹操は彼を見ると勇壮さに感心して、「こいつはわしの樊會(高祖の侍衛)じゃ」即日都尉に任命し、宿直警護の役につけ、許チョに従っていた者たちをすべて虎士(近衛兵)とした。

つき従って張繍を征討し、先陣となり、五桁にぼのる首を斬り、校尉に昇進した。つき従って袁紹を官渡に討った。

当時つねに随行していた兵士の徐他らが反乱を計画したが、許チョがつねに曹操の左右に侍していることから、彼をはばかって思いっきり行動にふみきれないでいた。許チョが休暇をとって外出するときをねらって、徐他らは刀を懐中ににして中へ入った。許チョは宿舎まで来ると胸騒ぎがしたのですぐさま引き返して侍衛した。徐他らは知らずにとばりの中へ入り、許チョを見てまったく愕然とした。徐他の顔色が変わったので、許チョはそれと気がつき、即座に徐他らを殺した。曹操はいよいよ彼をかわいがり信用し、出入には同行させ、左右から離さなかった。

つき従ってギョウを包囲し、力戦して戦功を立て、関内侯の爵位を賜った。

つき従って韓遂・馬超を潼関に討伐した。曹操は北方を渡ろうとしたが、黄河を渡る前に先に兵を渡し、許チョおよび虎士百余人だけと南岸に留まって背後を遮断した。馬超は歩兵・騎兵一万余人をひきつれ曹操の軍を攻め寄せ、雨のように矢を降り注いた。許チョは曹操に、兵が河を渡り終ったから去るべきだと言った。そして曹操を助けて船に乗せた。許チョは船によじ登ってくる者を斬り捨て、船頭が流れ矢で死ぬと、許チョは右手で船をこいでさかのぼらせ、やっと渡ることができた。この日は許チョがいなければまったく危なかった。

そののち曹操は韓遂・馬超らと単身馬に乗って会見し語り合った。ただ許チョだけをひきつれた。馬超は自己の力をたのんで、ひそかに曹操に突きかかるつもりでいたが、かねてから許チョの武勇を聞いていたので、おともの騎馬武者が許チョかと疑った。そこで曹操に、許チョはどこにいるか訊ねた。曹操は振り返って許チョを指すと、許チョは目をいからせて彼をにらんだ。馬超はあえて行動を起こさず、それぞれ引き上げることになった。数日後、大いに馬超らを打ち破り、許チョは武衛中郎将に昇進した。

曹仁が荊州から来朝して謁見したとき、曹操がまだ出御しないうちに中に入り、許チョと宮殿の外で出会った。曹仁は許チョを呼び入れ、座って語り合おうとしたが、許チョは、「王にはもうお出ましになりましょう」といい、そのまま引き返して宮殿に入った。曹仁は心中彼を恨んだ。こうしたことである人が許チョをとがめたが、「大名の臣(曹仁)が朝廷の臣下一員として多勢の談合で充分、特別に個人的な付き合いはできない」といった。曹操は聞いていよいよ彼を愛し大切にし、中堅将軍に昇進させた。

曹操が崩御すると、許チョは号泣して血を吐いた。

曹丕が帝位につくと、万歳亭侯に昇り、武衛将軍に昇進し、中軍の宿衛に当たる近衛兵を指揮し、側近としてたいそう親しまれた。

曹叡が即位すると、牟郷侯に昇進したが、逝去した。享年不明。


評価

軍中では許チョの力が虎のようであって痴(ぼうとしている)であることから、虎痴と号した。当時、天下の人は彼を称え、みな虎痴が彼の姓名だと思い込んだ。

人柄が慎み深く、法律を遵守し、質朴で重々しく言葉少なであった。


演義

小説『三国志演義』では、曹操の軍が黄巾族の残党と戦っている時、何儀という黄巾族の総大将が出て来て曹操に一騎打ちの勝負を挑んで来る場面がある。曹操は典韋に命じ、何儀を捕らえに行かせる。その時一人の農民が現れ何儀を捕らえ去ろうとするが、この農民が許チョであり、典韋は許チョを追いかけ何儀をこちらに渡すように促すが、許チョが拒否したため二人は一騎打ちをし、互角に戦うことになる。この許褚の勇猛さを聞いた曹操は「あれほどの男を殺すのは惜しい」と思い、部下に罠を仕掛けさせ、捕えて連れて来いと命じる。その後、典韋が許チョと戦っている所で引き上げの合図が聞こえ、典韋はわざと引き上げる。許チョは典韋を追いかけたが、途中許チョは罠にかかり曹操の所へ連れて行かれることになる。曹操は他の敵将と同じ扱いを受けた許チョを見ると「誰がこんな扱いをせよと言ったのだ!」と言い、すぐに縄を解くように命じ、許チョに謝ると部下にならないかと誘う。許チョは自分を部下にしてくれる事を喜んで引き受け、仕えることとなる。

その後も許チョは曹操配下として抜群の武勇を発揮して活躍、特に馬超との一騎打ちでは途中から上半身裸になって戦う勇姿を見せる。