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後漢伝


張紘 子綱ちょうこう しこう

姓名張紘
子綱
生没年生没年不詳
所属
能力 統率:  武力:  知力:  計略:  政治:  人望:
推定血液型不明
諡号---
伝評計略と外交で貢献し、孫権に遷都するよう進言した政治家
主な関連人物 孫権 孫策 張昭 
関連年表 194年 孫策の参謀となる
199年 侍御史となる
215年 合肥の戦い

略歴

張紘、字を子綱といい、広陵の人である。子は張靖、張玄がいる。

京都に出て学問をした。太学に入ると、博士の韓宗に師事して京氏易と欧陽尚書とを治め、さらに陳留郡の外黄において濮陽関から韓詩と礼記と左氏春秋とを学んだ。

故郷の郡にもどったあと、茂才に推挙され、大将軍の何進と大尉の朱儁、司空の荀爽との三公の府からも招かれたが、いずれも出仕せず、戦乱の災いを避けて江東へ移住した。

孫策が挙兵すると、そのもとで初めて士官をした。孫策は上表をして張紘を正議校尉に任じ、彼は孫策の丹陽の討伐に参加した。張紘は張昭とともに参謀をつとめ、孫策はいつも、二人のうちの一人に留守を任せ、他の一人を征伐につれてゆくことにした。孫策がみずから陣頭に立とうとしたとき、張紘はそれを諌めて、総司令官は軽はずみな行動を取るものではないと進言した。

199年、孫策が、張紘を使者として派遣し、許宮におもむいて上章文を天子にたてまつらせたところ、張紘はそのまま許に引き止められて侍御史に任ぜられた。許にあっては少府の孔融ほかの人々がそれぞれに彼と親しい交わりを結んだ。

曹操は、孫策が逝去したと聞くと、その死後のごだごだに乗じて呉を征伐しようと考えた。張紘はそれを諌めて、他人の死亡に乗ずるのは、古のおきてにはずれるのみならず、もし事がうまく行かなかった場合は、怨みを買うことになるので、むしろこれを機会に恩義を施しておくにしくはない、との意見を述べた。曹操は、ただちに上表して孫権を討虜将軍に任じ、会稽太守の職務にあたるようにとりはからった。

孫権が呉の勢力を支配して若年であったので、太夫人(孫権の母)は、内外ともに多難であることから、しばしば張紘に鄭重な内容の文章を下し、輔佐して欲しいと委嘱した。張紘は、こうした書簡を受けて、信任されたことを感謝し、孫権を輔佐して時局を正しく読み取って行くことに心を注いだ。

張紘は、破虜将軍孫堅には董卓を敗走させて漢王室を支えた勲労があり、討逆将軍孫策は江南の地を平定して大きな事業を成したから、正義の行動を顕彰するための記録があるべきだと考えて、文章をみずから完成させると、孫権に献上した。孫権は、それを目通すと、深く心を動かされ、「あなたは、本当に我が家の来歴や功績についてよく知っている」といって、張紘を会稽東部都尉として派遣した。

もともと琅邪の趙イクが、広陵太守であったとき、張紘を孝廉に推挙したことがあって、その趙イクがのちにサク融に殺されると、深く悲嘆した。趙イクの家系は絶えたが、張紘が会稽東部都尉に着任すると、主簿の役人を琅邪にやって趙イクのために祭を行わせるとともに、その一族の者を捜してあとを継がせた。孫権は、こうした処置を喜んだ。

孫権が江夏の討伐にむかうことになると、張紘を都の守りに当らせ、都尉の職務を処理させることとした。

のちに孫権は、張紘を長史に任じて、合肥の遠征につれていった。孫権は、軽装兵を率いてみずから先頭に立とうとしたが、これを諌めて中止させた。合肥を包囲した際に、張紘は献策して、敵を探るためにも包囲を軽くして、援軍や伏兵に備えるべく様子を伺うようにいった。これに対して反対意見が出され、すぐには実行に移さなかった。その結果、張遼の伏兵に遭い、味方は崩れ、敵の援軍がやってきたので、退却した。

合肥の戦役から帰還したあと、次の年にもまた、孫権は軍を動かそうとした。張紘はまたそれを諌めて、賢者を任用し能力ある者を職務につかせ、寛大な恩恵あふれる施策を取るよう進言した。この意見によって、出陣の計画は取りやめた。

張紘は、都を呉から秣陵(建業)まで進出させるべきだとの建策をし、孫権はそれを受け入れ、遷都を行なった。都が移されたあと、呉に戻って家族のものたちを迎えてくるよう命ぜられ、呉へ往復する途中で、病気のため、張紘は死去した。享年60歳で、生没年は不明。


評価

元来、孫権は、群臣たちに対して多くその字で呼びかけていたのであるが、ただ張昭を呼ぶときは「張公」といい、張紘には会稽東部都尉によって「東部」といった。この二人を尊重しての呼び方であったのである。

張紘は、詩・賦・銘などの作品十余薦をのこした。


演義

『三国志演義』では、張昭と共に「江東の二張」と称される在野の賢人として登場、先に孫策に仕えた張昭の説得により孫策に仕えている。