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後漢伝


趙達 ちょうたつ

姓名趙達
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生没年生没年不詳
所属
能力 統率:  武力:  知力:  計略:  政治:  人望:
推定血液型不明
諡号---
伝評「九宮一算の術」を会得して、秘伝を誰にも教えなかった人物
主な関連人物 孫権 
関連年表 不明

略歴

趙達といい、河南郡の人である。

若いころ、後漢の侍中單甫に就いて学問を修めた。東南の地方は王者の気があるので、難を避けられると考えて、長江を渡った。

趙達は「九宮一算の術」という占術を会得して、飛んでいる蝗の数や、隠された品物の名をぴたりと当てた。「飛んでいるものの数などは分かりはしない、でたらめだろう」と言う人に、蓆の上に小豆を撒かせ、その数を占った。一つ一つ数えてみると、占ったとおりの数だった。

ある時、食事のあと、知人は「急なこととて酒もなく、よい肴もなくて、十分におもてなし出来ず申し訳ありません」と謝った。趙達は箸を算木代わりにして占っていたが、「お宅の東壁のもとに一石の美酒があり、鹿肉も三斤あるのに、何故ないと言われるのか」と問うた。他にも客がいたので、その人が隠していたことが皆にわかってしまった。知人は恥じ入って「あなたの占いのお力を知ろうと思ったからでした」とその場を取り繕った。

ある人が、何千何万という数を書いた簡を空の倉庫に入れておき、趙達に占わせた。趙達はその数を当てるとともに「これは名ばかりで、中身はない」と言った。彼の術はこれほど精妙だった。

彼は自分の術を惜しんで人に明かさなかった。闞沢・尹礼ら名だたる儒者や優れた人物が教えを請うたがこれを拒否した。

太史丞の公孫籐は若い時から趙達に師事し、一所懸命学んでいた。趙達はいったんは彼に秘伝を授けようと言ったが、あれこれ口実を設けてとうとう教えなかった。

孫権は征伐の際、いつも趙達に占わせ、結果はいつも彼の言うとおりだった。孫権もまた彼の術を知りたがったが、趙達は教えなかった。そのため疎んじられて俸禄や官位は上がらなかった。

趙達は星気や風術をする者たちを笑っていた。「帷幕の中で算木を廻らせ、戸外に出ずに天道を知るのが占いなのに、昼夜、戸外に身をさらして豫兆を読み取ろうとするのはまことに御苦労千万なことだ」

ある時、趙達は、つれづれに自分の命運を占った。そして「私の運勢は某月某日に尽きると出た。その日に死ぬであろう」と嘆じた。彼の妻は、夫の占いが的中するのをしばしば見てきたので、この言葉を訊いて声を挙げて泣いた。趙達は妻の心を和らげようとして、改めて算木で占い、「さっきのは間違いだ。死ぬのはまだ先のことだ」と詐ったが、死んだのは初めに占ったとおりの日だった。


逸話

孫権は趙達が占術を記した書物を持っているときいたので、その死後、手に入れようとし、彼の女を拘禁して糺明した。さらに棺を開けてまで探したが、何も得られなかった。その術は彼の死によって失われた。

韋昭の『呉書』にいう。孫権が帝位に即いた際、趙達に自分は天子として何年在位出来るかと問うた。趙達は「漢の高祖は王朝を建ててから十二年在位されましたが、陛下はこれに倍されましょう」と言った。孫権の即位は229年、死去は252年だから、これもみごとに的中している。

224年、曹丕は呉討伐の軍を起こし、広陵まで進んだ。孫権は徐盛の献策を用い、長江沿いに蜿蜒と偽城を築いて抵抗した。そうとは知らぬ曹丕は軍を還した。孫権は事の成り行きを趙達に占わせた。趙達は「曹丕は逃げ出したというものの、呉は庚子の年は享亡いたします」と言った。孫権が「いつの庚子だ」と訊ねると、趙達は指を屈して計算し、「58年後でございます」と答えた。孫権は「今のことを憂えるのに手一杯で、遠い先のことまで考えられぬ。そんなことは子孫たちの問題だ」と言った。280年庚子の年、晋軍は各方面から呉に侵入、孫晧は降伏し、呉は滅びた。なお、正しく計算すると、呉の滅亡は数えて57年後になる。