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劉備が帝位に就き蜀漢建国

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諸葛亮は本当に素晴らしい人物?

三国志の人物の中で、諸葛亮の知名度は初心者でも解るように、一、二を争う有名な人物である。特に、諸葛孔明、孔明で知られることは周知の通りである。

さて、諸葛亮を改めて評価することは、近年珍しくもなく、正史と演義においてその違いは明白であるのだが、ファンの間では諸葛亮の評価に議論することは当たり前のようになってきた。

諸葛亮は、劉備の覇業を助けて漢朝再興のために意志を継いで、魏の征伐を行なった政治家、軍略家であるが、もっともポピュラーな三国志演義での活躍は、人間離れした偉業を成す人物としても描かれている。また、ゲームや漫画においても、諸葛亮は天変地異を自在に操り、神の如き働きをして大活躍した。手からビームを出すこともしばしば。

まさしく大天才として知られ三国志一の軍師とも云われていたことも事実である。

正史においても、劉備亡き後も丞相として蜀を支えて、政治軍事をみずからこなし、没するまで軍を率いて魏と争った。正史も演義も同じ内容であることは間違いないが、脚色した諸葛亮の人間離れしたイメージが付きまとい過ぎたのである。近年の議論が始まったのは、こうした正史と演義の違いやゲーム、漫画のギャップが大きな要因であるが、一番の理由として、蜀が天下を統一できなかったことだと考える。

そもそも軍師とは何かを考えると、軍師将軍としての役職もあるが、軍師は役職ではなく、一つの称号として、読んで字の如く軍の師である。戦略において師と仰ぐべき助言者を指す。諸葛亮は、劉備の助言者として導いて、荊州を統治し、蜀を手に入れた立役者の一人である。これは評価するに値する。また、劉備は諸葛亮と出会う以前は、各地を転々として齢五十過ぎるまで浪人生活を送っていたことで、諸葛亮と出会ったタイミングから見ると、軍師として偉業を成せたとも考えられる。

魏の曹操は、幕僚として錚々たる人物がいる。荀イク、荀攸、程イク、郭嘉、賈ク、劉曄、そして司馬懿など、彼らは一人ひとり軍師としての役割を担えた人物たちだ。これだけの幕僚を抱えた曹操は中原を制した事実は納得できることである。劉備は以前まで軍師と呼べるべき人物を持たなかったが、諸葛亮の他にも徐庶、ホウ統、法正、黄権、馬良なども、曹操幕僚に負けない優秀な人物たちがいた。

どんな人材でも担当すべき適材適所があった。曹操幕僚では、荀イクは留守を守り、郭嘉、荀攸らが前線で支えたことが例である。すべての人材が優秀だからといって、全面に出るのではなく、表裏を支える担当が必要だからだ。荀イクが留守を預かったことで、反乱を収め、兵糧軍事物資を計算し、内政を支えて、曹操を手紙で励まし、安心させることができた。また、郭嘉や荀攸は前線で策謀を尽くし、敵を破ることができたのは、その策謀に集中することができた環境だったのである。

劉備幕僚の一つとして考えるとすれば、最初に軍師となった徐庶はすぐに去ってしまい、前線を指揮していたホウ統は戦死し、法正もまた早世し、夷陵の戦いで黄権と馬良を失ったのである。残った諸葛亮は、一人で荀イク、郭嘉、荀攸の役目をすべてみずから行おうとした。これは無理がある。どんなに優秀な人物でも、一つの担当に集中してその目的、実務に望むことが活かすことであり、成功を導くことはできないことである。

しかし、夷陵敗戦後の蜀には人材が乏しく、諸葛亮一人に委ねてしまった実態もあり、物資の少ない蜀を大国魏と対等に戦ったことは称賛すべきことであろう。

小国であった蜀に、諸葛亮は既に天下を統一することはできないと判断し、自国を守るための行動を行なったのではないかと推測できる。その行動は、正史にも伝わるように、北伐において涼雍州の平定を目指し、長安を最終目的とした。もしくは長安陥落を失敗しても、二州を平定できることができれば、蜀の国境に敵を近づけることはできないからだ。

また当時、荊州を失った時点で蜀の天下統一は不可能となっていた。関羽を荊州方面から洛陽を目指せて、本国から長安を目指すことで、魏を討つ計画だったのだ。だからこそ、呉の同盟が必要となり、諸葛亮も頼るべき試行錯誤があったのだ。しかしながら共同作戦を行うにも魏を討つことはできなかった。

曹操幕僚のように、諸葛亮が政治で力を発揮して軍師として劉備を支えることに尽力することができれば、その偉業は成せたか誰にも解ることではなくなったが、諸葛亮が果たしてすべてを賄い失敗したことは評価する問題ではない。実情を探るに、個人の能力を測ることはできない。捨てるものがなかった劉備を皇帝に導いた一人の軍師としての功績は素晴らしいものであり、やはり諸葛亮は偉大であったと考えるのは妥当ではないだろうか。

荀イク、郭嘉、荀攸など並んで、軍師としての役割を担った素晴らしい人物だったと改めて評価できると考えられる。

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