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蜀伝


劉禅 公嗣りゅうぜん こうし

姓名劉禅
公嗣
生没年207年 - 272年
所属
能力 統率:  武力:  知力:  計略:  政治:  人望:
推定血液型不明
諡号孝懐皇帝
伝評劉備の跡を継いで蜀の皇帝となった後主
主な関連人物 劉備 諸葛亮 姜維 劉理 劉永 
関連年表 223年 蜀の皇帝に即位する
263年 魏に降伏し安楽公に奉じられる

略歴

207年、劉備が荊州新野に身を寄せていた際、側室甘氏の間に生まれた。208年に曹操が南下討伐軍を起こすと劉備軍は乱れる中、趙雲が大軍を突破して救出された。217年、劉備が益州と漢中を支配し漢中王になると太子となった。

223年、劉備が崩御すると跡を継いで皇帝となった。その年、朱褒と雍ガイらが反乱したが諸葛亮を派遣して鎮圧した。224年、農耕をつとめ穀物増産し、関門を閉ざして民衆を休息させた。225年に諸葛亮らが益州反乱の四郡(演義の南蛮平定)を平定すると、四郡を建寧として改めた。

227年、諸葛亮が北伐を起こした際に、蒋エン、費イ、董允ら(蜀の三相)に政治を任せ、永安の李厳に江州で築城させた。現在でいう巴城である。228年、都護の李厳を免職し流罪とした。234年に諸葛亮が病没したため蒋エンを丞相とした。235年、楊儀が不満を口にしたため流罪とした。楊儀は恥とし自害する。

239年、蒋エンを大司馬に任命した。240年、張嶷を越儁太守に任命した。243年、蒋エンが病に伏せたことで費イを大将軍に任命した。244年、魏の曹爽と夏侯玄らが漢中に侵攻してきたので、王平、費イを派遣させて勝利を収めた。246年、蒋エンが死去したので自ら国事を担当した。

249年、魏の曹爽一族らが処刑され実権を司馬懿が握ると、夏侯覇が蜀に降ってきたので重要した。同年、姜維と夏侯覇は魏の雍州へ侵攻したが成果は得られなかった。250年より姜維が北伐を繰り返すことになり、それを許可した。256年、姜維を大将軍として兵の実権を任せた。

258年、宦官の黄皓を寵愛したため宮廷で実権を握るようになった。
260年、関羽・張飛・馬超・黄忠・ホウ統ら過去の功績を称えて諡号を追贈した。翌年、趙雲にも同じく称えて追贈した。

263年、魏の鍾会、トウ艾、諸葛緒らが漢中に侵攻してきた。陽平関で傅僉が戦死した。姜維が鍾会を防いでいる間、張翼・廖化・董厥らを派遣し加勢させた。トウ艾が別の街道から侵攻して綿竹の諸葛瞻らを撃破した。これに慌ててショウ周の提案により降伏、蜀は滅亡した。


評価

蜀の旧臣陳寿の『三国志』では、「白い糸は染められるままに何色にも変ずると書かれている。(周りの人間が有能ならよく、悪かったら駄目になるような人間である」という主旨)。孫皓のように残虐な振る舞いは行わなかったが、進んで善政を布いたわけでもない。隣国の呉では政情不安定のため謀反や反乱が頻発していたが、蜀では諸葛亮の死後、三相らが政治を引き締めており、謀反や反乱は起きなかった。評は「あれほど出兵しながらもみだりに恩赦などを行わなかった点は、なかなかに賢明である。しかし、諸葛亮が死んだ後の事を考えれば、優劣は歴然としている」と締めくくっている。

なお、『晋書』「李密伝」で元蜀の臣下でもある李密は、名臣を信じて成功し、奸臣を信じて失敗した事を例に出し、劉禅を「斉の桓公に次ぐ」と述べている。

かつて彼の像が成都の武侯祠に存在したが、嫌悪されること甚だしく、その像は何度も破壊された(何度か再建されている)という。涿県(現在の河北省保定市涿州)の三義宮には、「小三義殿」という場所があり、そこに、関興・張苞とともに祭られている。


逸話

蜀が滅んだ後のこととして、蜀書・後主伝が引く『漢晋春秋』に以下のような逸話が記されている。

宴席で蜀の音楽が演奏されて蜀の旧臣が落涙していたときにも劉禅は笑っていた。それを見て司馬昭は「人はここまで無情になれるものなのか。諸葛亮が補佐し切れなかったのであるから、姜維にはなおさら無理であっただろう」と賈充に語った。

また、司馬昭が劉禅に「蜀を思い出されることでござろうな」と尋ねたところ「ここの暮らしは楽しいので蜀を思い出すことはありませぬ」と答えた。蜀の旧臣・郤正が「あのような質問をされたら、『先祖の墳墓も隴・蜀にありますので西のくにを思って悲しまぬ日とてありませぬ』とお答えください」と諫めた。司馬昭は再度「蜀を思い出されることでござろうな」と質問した。劉禅は郤正に言われたとおりに答えた。「これはまた郤正の言そのままでございますな」と司馬昭に言われ、劉禅は驚いて「はい、そのとおりです」と答えて大笑いになった。

中国では阿斗を愚か者、バカという意味で使われている。演義では劉禅の母が北斗七星を呑む夢を見たことから阿斗と名づけた。