りゅうそう

劉琮

生没年生没年不詳 所属後漢

戦わずして荊州を明け渡した、劉表の後継

能力値
統率 E
武力 E
知力 E
計略 E
政治 E
人望 E
関連年表
後漢末 荊州牧・劉表の次子として生まれる
建安年間 蔡氏の姪を妻に迎え、蔡瑁・張允の後ろ盾を得る
208年 兄・劉琦が諸葛亮の助言に従い江夏太守として出る
208年8月 劉表が病没し、荊州を継ぐ
208年9月 曹操が南下し、傅巽・蒯越らが降伏を説く
208年9月 宋忠を遣わして劉備に降伏を伝える
208年9月 一戦も交えず荊州を曹操に明け渡す
208年以降 青州刺史に任じられ、列侯に封じられる
後年 諫議大夫・参同軍事に至り、魏の臣として生涯を終える

略歴

劉琮は、荊州牧・劉表の次子である。劉表の後妻である蔡氏に愛され、その姪を妻に迎えたことで、蔡氏の一族——水軍を統べる蔡瑁や、劉表の娘婿にあたる張允らを後ろ盾に得た。 これに対し、年長の兄・劉琦は、しだいに父から遠ざけられていく。身の危うさを感じた劉琦は諸葛亮に助言を求め、「申生は内に在りて亡び、重耳は外に在りて安かった」という古例を示されて、みずから江夏太守として襄陽を離れた。荊州の後継は、こうして劉琮に定まる。 建安十三年(208年)八月、劉表が病没し、劉琮が荊州を継いだ。だがその翌月、中原を平定した曹操が大軍を率いて南下してくる。 荊州の重臣たちは、こぞって降伏を勧めた。劉琮は「諸君と力を合わせて楚の地を全うし、先君の遺業を守りたい」と抗ったが、傅巽・蒯越・韓嵩・王粲らに論じ伏せられ、ついに降伏を決する。 このとき樊城にいた劉備には、何も知らされていなかった。劉琮が使者の宋忠を遣わして降伏を告げたのは、曹操の軍がすでに宛に達したのちである。劉備はあわてて南へ逃れ、追撃を受けて長坂で大敗することになる。 こうして荊州は、一戦も交えることなく曹操の手に落ちた。天下の要衝の帰趨が一夜にして変わり、逃れた劉備と、江東の孫権とが結ぶ——赤壁への流れは、この無血開城から始まった。 降伏後の劉琮は、曹操によって青州刺史に任じられ、列侯に封じられた。のちに中央へ召されて諫議大夫となり、参同軍事に至っている。荊州を失ってなお、魏の臣として生涯を全うした。

逸話

劉琮を降伏へ導いたのは、幕僚・傅巽の冷徹な論法であった。「諸君と力を合わせて楚の地を全うしたい」と抗う劉琮に、傅巽はまず三つの理を突きつける——臣下の身で天子(を擁する曹操)に抗うのは逆であり、成ったばかりの荊州で国家に抗うのは弱であり、劉備を頼んで曹操に当たるのは釣り合わない。そのうえで問うた。「将軍はご自身を、劉備と較べていかがとお考えか」。劉琮が「及ばぬ」と答えると、傅巽はこう畳みかけた——「もし劉備が曹公を防ぎきれぬのなら、荊州がそっくり残ったところで自らを保てません。もし劉備が曹公を防ぎきったなら、その劉備が将軍の下に留まりましょうか」。 降伏は、劉備には伏せられたまま進んだ。ようやく使者の宋忠が樊城に着いたとき、曹操の軍はすでに宛にまで達している。劉備は驚いて言った——「卿らはこのような大事をなしながら、早く私に告げず、禍が目前に迫ってからようやく知らせに来る。あまりに急ではないか」。刀を抜いて宋忠に突きつけ、こう続けたと伝わる。「いま卿の首を斬ったところで、この恨みが晴れるわけでもない。それに大丈夫たる者、別れに臨んで卿ごときを斬るのは恥だ」。 逃走の途中、襄陽に差しかかったとき、諸葛亮は劉備に進言した——「いま劉琮を攻めれば、荊州を手にできます」。劉備は答えた。「吾は忍びない」。そして劉表の墓の前で馬を止め、涙を流して去ったという。 『三国志演義』では、劉琮は降伏ののち、母の蔡夫人ともども曹操の手の者に殺されるという悲運の最期を与えられている。だが史実は違う。劉琮は青州刺史・列侯に封じられ、のち諫議大夫・参同軍事にまで進んで、魏の臣として生涯を終えた。荊州を戦わずして手放した当主は、物語のなかでのみ、その代償を命で払わされている。 なお、退けられた兄・劉琦のほうは、諸葛亮の助言に従って江夏へ出たことで難を逃れ、赤壁の後には荊州刺史に立てられた。父の愛を得て家督を継いだ弟と、遠ざけられて外へ出た兄と——「申生は内に在りて亡び、重耳は外に在りて安かった」という古例は、そのまま二人の兄弟の上に繰り返された。

評価

劉琮は、蔡氏一族の後押しによって兄を越えて荊州を継いだものの、みずから大勢を決するには至らず、重臣の説くままに、要地・荊州を戦わずして曹操に譲り渡した。 その無血の降伏は、荊州という天下の要衝の帰趨を一変させ、南下する曹操と、逃れる劉備・孫権との対決――やがて赤壁の戦いへと至る大きな流れを、決定づけることになった。

演義

小説『三国志演義』では、蔡夫人・蔡瑁らに擁されて荊州を継ぎ、曹操の南下に際して戦わず降伏する若き当主として描かれる。 物語では、降伏後に曹操の手で母ともども害されるという悲運の結末が与えられているが、これは史実にはない脚色である。荊州が曹操の手に落ち、赤壁へと向かう流れの起点として位置づけられている。
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