演義
2月、張角が太平道を号し黄巾賊の大乱を生む。波才、張曼成らが賛同し、一斉蜂起。張宝張梁ら、三軍を分け北方を拠点とする。朝廷は朱儁・皇甫嵩・廬植・董卓・曹操らに黄巾賊討伐を命じる。劉備、関羽、張飛が楼桑村において義兄弟の契りを結ぶ(桃園の誓い)。劉備らは盧植を頼って討伐軍に参加する。5月、廬植、張角を追い詰めるが、中常侍の圧力により免職され投獄される。10月、皇甫嵩、曹操と共に、張梁を討ち取る。11月、皇甫嵩、劉備の策で張宝を討ち取る。張角が病死し黄巾の乱は一時平定となる。
正史
2月、太平道の組織者の張角が蜂起する。みな頭に黄色の巾をつけていたところから、黄巾の賊と呼ばれる。3月、何進が大将軍に任じられ、都の守りにあたる。皇甫嵩や呂強により、党錮のメンバーが黄巾の反乱者と結ぶことを畏れて、党錮の禁は解除される。4月、鄧盛が大尉に、張温が司空になる。5月、皇甫嵩は長社において黄巾の包囲を受けるが、朱儁、曹操の助力を得て黄巾を打ち破る。さらに皇甫嵩は、朱儁とともに汝南、陳国一帯の黄巾を破って、その地は平穏になる。6月、盧植は、張角を広宗に追い詰めたが、宦官の讒言により罪におとされ、董卓がそのあとを継ぐ。7月、巴郡において五斗米師の張脩が蜂起する。人々はその一味を米賊と呼ぶ。10月、皇甫嵩は、張角の弟の張梁を斬り、11月には張宝を打ち破る。 12月、忠平と改元する。