そんしょう

孫邵

長緒 生没年163年 – 225年 所属

呉の初代丞相であるが、伝や史書が伝わってない人物

能力値
統率 E
武力 F
知力 B
計略 D
政治 B
人望 D
関連年表
209年 車騎将軍長史となる
222年 丞相・威遠将軍・陽羨侯となる

略歴

孫邵、字を長緒といい、北海郡の人である。 身長は八尺もあった。北海の相だった孔融の功曹となり、孔融は孫邵を廊廟の才ありとして高く評価した。 後に江東の揚州刺史劉繇に身を寄せた。 200年、孫権が江東を支配すると仕え、しばしば献策して用いられた。 209年、廬江太守に任じられ、車騎将軍長史に遷った。 222年、孫邵は初代の丞相・威遠将軍となり、陽羨侯に封じられた。 張温と曁艶がいろいろと孫邵のことを諫言して上奏したため、官を辞して罪を請うたが、孫権は釈して復職させた。 225年、孫邵は死去した。享年63。

見解

呉の建国で孫邵が初代丞相となっているにもかかわらず、伝がないことについて、『志林』の劉声叔は、「その名声や官位からすれば、当然伝が立てられるべきだ。呉史を編纂したとき、孫邵についての記録がすでにあったが、そこには孫邵と張恵恕(張温)は不仲だったと記されている。後に韋昭が『呉書』を著したが、おそらく韋昭は張恵恕の旧知だったので、孫邵を嫌って立伝しなかったのだろう」と答えた。 『二十二史箚記』の著者趙翼も劉声叔と同意見で、「丞相孫邵が死去、顧雍がこれを継いだ。顧雍には伝があるのに孫邵に伝がないのは、『志林』が記すような事情があるからだ」と述べている。