しせき

施績

字公緒 生没年? – 270年 所属呉

父・朱然の後を継ぎ、呉後期の南辺を支えた名将

能力値
統率 C
武力 C
知力 D
計略 D
政治 D
人望 C
関連年表
後漢末 呉の名将・朱然の子として生まれる。本姓は施
— 父の任により郎となり、のち建忠都尉に任じられる
— 叔父・朱才の死後、その兵を引き継ぐ
— 太常・潘濬に従って五渓の蛮族を討ち、胆力を称される
— 鄱陽の賊・彭旦の乱の平定に従軍する
246年頃 偏将軍・営下督となり、盗賊の事を「法を執って傾かず」裁く
240年代 魯王・孫霸の度重なる接近を、そのつど席を外して避ける
250年代 驃騎将軍・鎮東将軍を歴任する
258年 孫休の即位により上大将軍・都護督となる
孫休期 上表して朱姓を返し、本来の施姓に復する
260年代 左大司馬として楽郷に鎮し、長江中流を守る
270年 没する。この方面の軍事は陸抗が引き継ぐ

略歴

施績、字を公緒といい、呉の名将・朱然の子である。 本来の姓は施であった。父・朱然はもと施氏の出で、十三歳のとき、子のない母方の伯父・朱治の後嗣となることを孫策に願い出て許され、以後は朱姓を称した。その子である施績も、したがって長く朱績と呼ばれている。 父の任によって郎となり、のち建忠都尉に任じられた。叔父の朱才が没すると、その兵を引き継いだ。太常・潘濬に従って五渓の蛮族を討ち、胆力をもって称される。鄱陽の賊・彭旦の乱の平定にも従軍した。 やがて偏将軍・営下督に進み、盗賊の取り締まりを任された。ここでの評価が「法を執って傾かず」——法の適用において誰に対しても手心を加えなかった、というものであった。 この時期、太子・孫和と魯王・孫霸が後継を争う二宮の変が呉の朝廷を裂いていく。魯王・孫霸は施績を陣営に引き入れようとして、しばしばその役所を訪れた。だが施績はそのたびに席を外して顔を合わせず、それは一度や二度ではなかったという。党争の外に身を置き続けたのである。 その後、驃騎将軍・鎮東将軍を歴任し、孫休が即位すると上大将軍・都護督に任じられ、武昌から建業へ還った。このころ施績は上表して、父が親族の縁によって賜った朱姓を返し、本来の施姓に復することを願い、許されている。 さらに左大司馬に進み、楽郷に鎮して長江中流の守りを担った。丁奉らと並ぶ、呉後期の軍事の重鎮である。建衡二年(270年)に没した。 その死後、この方面の軍事を引き継いだのが陸抗であった。陸抗は楽郷に治所を置き、西陵・夷道・公安の諸軍を都督することになる。呉の最後の防衛線は、こうして施績の手から陸抗へ渡された。

逸話

施績の生涯を決めたのは、戦場での働きよりも、ある人物に会わなかったことであった。 太子・孫和と魯王・孫霸が後継を争った二宮の変は、呉の朝廷を二つに裂き、有為の人材を次々に呑み込んでいった。魯王・孫霸は施績を味方に引き入れようと、たびたびその役所へ足を運んだ。だが施績は、そのつど席を外して顔を合わせなかった。史書はわざわざ「このようなことが一度ではなかった」と書き留めている。王が自ら幾度も訪ねてくるのを避け続けるのは、それ自体が危険な振る舞いである。それでも施績は党派に加わらなかった。 この判断の重さは、同じ時代を生きた者たちの末路と並べると際立つ。太子四友と呼ばれた俊英のうち、顧譚は交州へ流されてその地で死に、張休は流刑地で自殺を命じられ、諸葛恪はのちに宴席で誅された。魯王に近づいた全寄らも、結局は孫権の手で処断されている。孫霸の訪問を避け続けた施績は、そのすべてを生き延びて左大司馬まで進んだ。 もう一つ、この人の人柄を伝えるのが復姓の一件である。父・朱然は十三歳のとき、子のない母方の伯父・朱治の後嗣となり、朱姓を称した。施績自身も生まれてからずっと朱績であった。だが孫休の代に至って、彼は上表する——父が親族の縁によって賜った姓なのだから、本来の施姓に戻したい、と。許されて、名門として通った朱の姓を手放し、施に戻った。すでに上大将軍の位にあってなお、家の来歴のほうを取ったのである。 父・朱然という存在の大きさも、あわせて記しておきたい。朱然は孫権と同じ学舎で学んだ幼なじみであり、黄武二年(223年)の江陵の戦いでは、曹真・夏侯尚らの大軍を半年にわたって支え抜いて名声を確立した。その朱然が病に伏すと、孫権は日に食事が減り、夜は眠れず、はじめ月ごと、のちには十日ごとに使者を送って病状を尋ねたという。赤烏十二年(249年)に朱然が没すると、孫権は素服して喪に服し、声を上げて泣いた。 その子として南辺を守り、そして建衡二年(270年)に死んだ。跡を受けたのは陸抗である。陸抗は楽郷に治所を移し、西陵から公安までの諸軍を統べることになった。その陸抗が長江の対岸で相対したのが晋の羊祜であり、やがて「羊陸の交わり」と呼ばれる敵味方を越えた信義が生まれる。呉の最後の防衛線は、施績の死をもって陸抗の手に渡ったのである。

評価

施績は、名将・朱然の名に恥じず、呉の後半を軍事の面で支え抜いた堅実な将である。華々しい大勝の記録よりも、要地を守り、国境を保ち続けた地味な功にこそ、その真価があった。 名門の武を二代にわたって受け継ぎ、衰えゆく呉の屋台骨を支えた点で、末期の呉になくてはならぬ存在であった。

演義

小説『三国志演義』では大きくは扱われないが、呉の後期を支える将として名が挙がる。 父・朱然に続く呉の武門として、長江の守りを担う人物に位置づけられている。
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