りい

李異

生没年生没年不詳 所属

陸遜に付き従って荊州制圧や夷陵に赴いた武人

能力値
統率 D
武力 D
知力 D
計略 E
政治 F
人望 E

略歴

李異といい、字も出身地も不明である。 214年、孫権は李異・甘寧らを劉備の入蜀の際に後続部隊として派遣したが、劉備とともに軍を動かさなかった。 219年、荊州の制圧に従事していた陸遜は、李異に命じて謝旌と共に3千の兵を率い、蜀漢の部将である詹晏・陳鳳を攻撃した。この時、李異は水軍を要害を占め、詹晏・陳鳳を撃破し、陳鳳を生け捕りとした。さらに房陵太守鄧輔と南郷太守郭睦にも攻撃を仕掛け、これらも撃破した。 221年7月、劉備が自ら呉討伐に向かった時には、李異は劉阿と共に陸遜指揮下で巫・秭帰に駐屯していた。李異は、劉阿とともに蜀将呉班・馮習を攻撃したが、敗退した。 222年6月、陸遜が劉備を撃破すると、永安に逃げた劉備を追い、李異は劉阿とともに南山へ駐屯して退路を絶った。

演義

『三国志演義』では、謝旌と共に孫桓配下の大将として登場する。 宜都で蜀軍を迎撃した際に、蜀将張苞に敵わず敗走する謝旌を救おうと、李異は金鍍金の鉞を振るって張苞に挑んだ。李異も苦戦するが、僚将の譚雄の矢に張苞の馬が射倒され、形勢は逆転した。しかし、李異が落馬した張苞を討ち取ろうとした瞬間、その場に駆けつけた蜀将関興の薙刀の一閃を受け、李異は断頭され殺された。

見解

李異は、孫桓に属していたとの記述は史書に見当たらない。 劉璋配下にも、李異と同姓同名の人物がいる。