でんちゅう

田疇

字子泰 生没年169年 – 214年 所属後漢

仇を弔い山に隠れ、義のために禄を辞した幽州の士

能力値
統率 E
武力 E
知力 C
計略 C
政治 D
人望 B
関連年表
169年 右北平郡無終県に生まれる
190年 劉虞の使者として長安に赴き、騎都尉を辞する
— 殺された劉虞を墓前に弔い、公孫瓚に拘禁される
— 徐無山に入り、五千余家を法と礼で治める
207年 盧龍の旧道を示し、曹操軍を白狼山へ導く
207年 亭侯の封を四度辞し、議郎となる
214年 四十六歳で没する

略歴

田疇、字を子泰といい、右北平郡無終県の人である。169年に生まれた。学識と義侠をそなえ、郷里に重んじられた士であった。 190年、幽州牧・劉虞が長安の献帝へ使者を送ろうとしたとき、二十二歳の田疇が選ばれた。彼は官の旗印を立てて行くことを願わず、私の旅として二十騎を連れ、山の間道をたどって長安に至った。朝廷は騎都尉に任じようとしたが、田疇は辞して受けなかった。 帰る道で、劉虞が公孫瓚に殺されたことを知る。田疇は劉虞の墓に詣で、持ち帰った朝廷の返書を供えて哭し、立ち去った。怒った公孫瓚に捕らえられて軍中に拘禁されたが、やがて放たれた。 その後、田疇は宗族と慕い従う者数百人を率いて徐無山の奥深くに入り、みずから法と礼を定めて人を治めた。その徳を慕って集まる者は五千余家に及び、北辺はその威信に服した。袁紹・袁尚は幾度も将軍の印を送って招いたが、応じなかった。 207年、曹操が烏桓を討つ遠征に出て長雨に道を断たれたとき、田疇は久しく廃れていた盧龍の旧道を示し、みずから郷導となって軍を白狼山へ導いた。曹操はこの大功に対し、彼を亭侯に封じようとしたが、田疇はついに受けなかった。議郎に任じられ、214年、四十六歳で没した。

逸話

公孫瓚のもとを出た田疇は、宗族と従う者を集め、地を掃き清めて誓った——「君の仇を報ぜずんば、吾、世に立つべからず」。主君の仇を討てぬかぎり人として世に立たない、という誓いである。 拘禁されていたときの問答が残っている。公孫瓚は詰問した——「汝は朝廷の返書を、なぜわたしに渡さぬのか」。田疇は隠さなかった——「漢室は衰え、人は皆、異心を懐いております。ただ劉公だけが忠節を失いませんでした。返書の文は、将軍にとって美しいものではありません。それゆえ、お渡ししなかったのです」。公孫瓚はその答えの堂々たるに気圧され、殺さずに軍中へ留めて、旧知の者との面会を禁じた。やがて「田疇は義士です。礼をもって遇さぬうえ囚えておけば、人心を失いましょう」と諫める者があり、ようやく釈放した。 徐無山に集まった人々に、田疇はこう言っている——「皆が、わたしを不肖としないで遠くから来てくれ、人の数は都邑ほどになった。しかし統べる者がなければ、長く安らかではいられない」。そして人を殺し傷つけた者、盗みを犯した者、争訟を起こした者を裁く法を二十余条定め、重い者は死をもって罰した。婚姻の礼を制し、学校を開いて教えを講じた。やがて道に落ちているものを拾う者もなくなり、烏丸・鮮卑までが通訳をつけた使者を送って貢ぎ物を届けるようになった。乱世のただ中に、法と礼と学校を自前でそろえた一つの国ができていたのである。 207年夏、曹操の軍は長雨で海沿いの道を水に浸され、進めなくなった。田疇が献じた策はこうである——「旧の北平郡の役所は平岡にあり、その道は盧龍を出て柳城に達します。建武以来、崩れて絶え、二百年になりますが、なお細い径が残っております。いま敵は、大軍が無終から来ると思い込み、進めずに退くと見て備えを緩めているでしょう。黙って軍を返し、盧龍口から白檀の険を越え、人のいない地へ出れば、道は近く便もよい。不意を襲えば、蹋頓の首は戦わずして取れます」。曹操は水際に「いまは暑い夏で道が通らぬ。秋冬を待って進軍する」と書いた札を立てて敵の目をあざむき、山を削り谷を埋めて五百余里を進んだ。 曹操が亭侯五百戸の封を押し通そうとすると、田疇は言った——「わたしは義に負いて逃げ隠れた者にすぎません。恩を蒙って生き延びただけで十分です。どうして盧龍の塞を売って、賞禄に換えられましょうか」。四度辞しても許されぬと知ると、どうしても受けよとおっしゃるなら死をもってお答えするほかない、と言い切った。説得にあたった夏侯惇の報告を聞いた曹操は嘆息し、この志は曲げられぬと知って、議郎に任じるだけにとどめた。狷介にして道に違い、小節を立てるのみだから官を免じて刑を加えるべきだ、と弾劾する声も出たが、曹操は取り上げなかった。 遼東から袁尚の首が送られてきたとき、曹操は「三軍のうち、これを哭する者があれば斬る」と令を下した。田疇は、かつて袁尚に召された縁があるというだけで、ひとり出向いて弔祭した。曹操は、これを問わなかった。墓前で主を哭して公孫瓚に捕らえられた日から、十四年が経っていた。

評価

田疇は、亡き主君への忠と、義を第一とする生き方を、生涯貫いた高潔の士である。仇の禁を犯して主君を弔い、山中に理想郷を築き、大功を立ててなお恩賞を辞退したその一貫した姿勢は、まさに義士の名にふさわしい。 乱世に、権勢や利禄になびかず、みずからの信じる義に従って生きたその姿は、後世、隠逸と忠義の理想として、深く仰がれた。

演義

小説『三国志演義』では、曹操の烏桓遠征において、道案内を務める幽州の義士として登場する。 廃れた古道を通って曹操軍を導き、烏桓討伐を成功させる。恩賞を固辞するその清廉な姿が、義の人として描かれている。
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