しょかつせい

諸葛靚

字仲思 生没年生没年不詳 所属呉

父の仇の晋に背を向け続けた、諸葛誕の子

能力値
統率 D
武力 D
知力 D
計略 D
政治 D
人望 C
関連年表
257年 父・諸葛誕の挙兵に際し、末子として呉へ人質に送られる
258年 寿春が陥落して父が討たれ、帰る国を失って呉に仕える
— 呉で右将軍などの要職に就く
280年 丞相・張悌らとともに長江を渡り、晋軍を迎え撃つ
280年 呉が滅び、父の仇である晋の天下となる
280年以降 大司馬に任じようという召しに、ついに起たない
— 晋室と仇あるをもって、常に洛水に背を向けて坐る
— 武帝が姉の諸葛妃を介して、ようやく対面の機会を得る
— 「竹馬の好」を問われ、豫譲の故事を引いて答える
— 涙を百行流し、武帝は慚じて席を立つ
— 終生、晋には出仕しなかった
東晋 子の諸葛恢が尚書令に至り、姉の系統から元帝・司馬睿が出る

略歴

諸葛靚、字を仲思という。魏の鎮東大将軍・諸葛誕の子である。 甘露二年(257年)、父・諸葛誕が司馬氏に抗して寿春で挙兵したとき、呉へ援軍を請う証しとして、末子の諸葛靚が人質に送られた。翌年に寿春が陥落して父が討たれると、諸葛靚は帰るべき国を失い、そのまま呉に仕えることになる。呉では右将軍などの要職につき、重んじられた。 太康元年(280年)、晋の大軍が呉へ攻め入ると、諸葛靚は丞相・張悌らとともに長江を渡って迎え撃ったが、呉軍は敗れ、国は滅びた。 ここから、この人の立場はいっそう苦しいものとなる。天下を統一した晋の司馬氏は、まさに父の仇であった。晋は諸葛靚を大司馬に任じようとしたが、召されても起たなかった。 晋の武帝・司馬炎は、若いころ諸葛靚と親しい間柄であった。そのため幾度も召し出そうとしたが、諸葛靚は応じない。やがて帝は、司馬氏に嫁いでいた諸葛靚の姉を介して、ようやく対面の機会を得る。 だがその席でも、諸葛靚は父の仇を忘れていなかった。以後も終生、晋には出仕しなかった。

逸話

諸葛靚が晋に入ってから、その座り方そのものが抗議になっていた。 『世説新語』はこう記す——「晋室と仇あるを以て、常に洛水に背きて坐す」。洛水は晋の都・洛陽を流れる川である。父を殺した王朝の都に、決して顔を向けなかった。大司馬に任じようという召しにも、ついに起たなかった。 困ったのは晋の武帝・司馬炎である。若いころ、二人は親しい間柄であった。会いたいと幾度も望んだが、相手は顔すら向けようとしない。そこで帝は、一つの手を使った。司馬氏に嫁いでいた諸葛靚の姉——諸葛妃に頼んで、弟を呼ばせたのである。身内からの招きであれば、断れない。 諸葛靚が来ると、帝は太妃の部屋へ出向いて対面した。礼が済み、酒がまわったころ、帝は思い出を持ち出した——「卿はまだ、竹馬の好を憶えておるか」。幼なじみの交わりを、まだ覚えているか、と。 諸葛靚の答えが、この一件を不朽にした。 「臣は、炭を呑み身に漆を塗ることができず、今日ふたたび聖顔を拝しております」。 戦国時代の豫譲は、主君の仇を討つために身に漆を塗って癩者を装い、炭を呑んで声を潰し、顔も声も変えて復讐の機を待った。その豫譲のようになれなかった自分が、こうして仇の顔を見ている——そう言ったのである。帝の懐旧に、復讐譚で応えたことになる。 そして諸葛靚は、涙と鼻水を百行流した。武帝は慚じ悔いて、席を立って出て行ったという。 旧友としての親しみを持ち出せば、相手は孝を盾に返してくる。皇帝にはどうしようもなかった。諸葛靚は終生、晋に出仕しなかった。 もっとも、この一族の運命は本人の節義だけでは終わらなかった。 父の仇に顔を向けなかった諸葛靚に対し、姉はすでに司馬氏の一族——琅邪王・司馬伷の妻となっていた。そして諸葛誕の娘であるこの姉の系統から、のちに東晋を建てる元帝・司馬睿が出ている。司馬氏に滅ぼされた諸葛誕の血が、女系を通って東晋の皇統に流れ込んだことになる。 諸葛靚自身の子もまた、晋に仕えた。諸葛恢、字は道明。東晋の重臣として尚書令にまで至っている。父は洛水に背を向けて生涯を終え、その子は新しい都で政務の頂点に座った。 同じことは、同族のもう一方にも起きている。諸葛亮の孫・諸葛京は、兄の諸葛尚が綿竹で祖父の国に殉じたのち、晋に仕えて江州刺史に至った。蜀の諸葛氏も魏の諸葛氏も、国に殉じた者と、滅ぼした王朝に仕えて家を残した者とに分かれたのである。

評価

諸葛靚は、父を司馬氏に討たれた恨みを終生忘れず、天下を統一した晋にあってなお、出仕を拒み通した節義の人である。旧友であった皇帝の誘いにも応じず、父の仇の方角に背を向け続けたその一途さは、孝の情の深さを物語る。 勝者にへつらうことを潔しとせず、亡き父への忠孝を貫いたその姿は、時勢に流されぬ気骨として後世に伝えられた。もっとも、その姉はすでに司馬氏に嫁いでおり、子は東晋の尚書令に至っている。一族としては、節を守る道と家を残す道の両方が選ばれたことになる。

演義

小説『三国志演義』では大きくは描かれないが、諸葛誕の子として、また呉に仕えた将として、その名が伝わる。 父の仇である晋に背を向け続けた史実は、王朝交代の非情のなかにあって、忠孝を守ろうとした者の姿を、静かに際立たせている。
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