ふくじゅ

伏寿

生没年? – 214年 所属後漢

曹操の専横に抗し、一族もろとも殺された献帝の后

能力値
統率 F
武力 F
知力 E
計略 E
政治 F
人望 D
関連年表
— 琅邪の名門伏氏に生まれる
— 選ばれて掖庭に入り貴人となる
195年 皇后に立てられる
195年 東帰の道中で董承の使いに絹を奪われる
200年 董貴人の死に恐れ父伏完へ密書を送る
209年 伏完が動かぬまま死去する
214年 密書が露見し廃されて暴室に下される
214年 二皇子が毒殺され一族百余人が誅される

略歴

伏寿は、後漢最後の皇帝・献帝の皇后である。琅邪郡東武の人で、後漢の初めに大司徒をつとめた伏湛の八世の孫にあたる、代々の名門の出であった。父の伏完は不其侯の爵を継ぎ、桓帝の娘である陽安公主を妻とし、執金吾・輔国将軍を経て屯騎校尉をつとめた。 献帝の即位後、選ばれて掖庭に入り貴人となり、興平二年(195年)、皇后に立てられた。その翌年にかけて、帝とともに長安を脱して東の洛陽へ帰る、苦難の道のりをともにしている。 建安五年(200年)、曹操は、董承の謀に連座させて、帝の側室であった身重の董貴人を殺した。帝が助命を願っても容れられなかった。これを見た伏寿は深く恐れ、父の伏完に書を送って、曹操の仕打ちを訴え、ひそかにこれを除くことを求めた。だが伏完は動かぬまま、建安十四年(209年)に世を去った。 建安十九年(214年)十一月、十四年前のその書が表沙汰になる。曹操は帝に迫って皇后を廃させ、御史大夫の郗慮に節を持たせて璽綬を取り上げさせ、尚書令の華歆をその副として、兵を宮中に入れた。 捕らえられた伏寿は暴室に下され、そこで命を終えた。生んだ二人の皇子は毒を与えられて殺され、兄弟と一族は百余人が死に、母の盈ら十九人は涿郡へ流された。

逸話

皇后であることがこの時代に何を意味したかは、長安を脱して東へ向かった道中の一場面がよく示している。『後漢書』によれば、伏寿は細絹を数匹、手に抱えて歩いていた。護衛の長である衛将軍董承は、符節令の孫徽を遣わしてこれを奪わせた。孫徽は刃をもって皇后を脅して絹を取り上げ、そばに仕えていた者を斬った。その血が、皇后の衣に飛んだ。 守る側の将が、守るべき皇后を刃で脅して手荷物を取り上げている。天子と皇后を担いで東へ落ちていく一行とは、そういうものであった。 許に都が定まってからは、帝は位を守るだけの存在になった。宿衛の兵も身辺に侍る者も、曹氏の一党か縁者であった。議郎の趙彦が帝に時勢の策を述べたところ、曹操はこれを憎んで殺している。あるとき曹操が政務で殿中に入ると、帝は憤りを抑えきれずにこう言った——「君がもし私を輔けてくれるなら、それでよい。そうでないなら、どうか恩を垂れて、私を見捨ててくれ」。曹操は色を失い、頭を下げて退出を願った。古い儀では、兵を領する三公が朝見するとき、虎賁が刃を執って左右から挟む。殿を出た曹操は左右を顧み、汗が背を浸していたという。以後、曹操は二度と朝見に出なかった。 伏寿が父に書を送ったのは、この空気のなかである。そして父の伏完は、動かなかった。伏完はかつて輔国将軍に任じられながら、政が曹氏にあるのを見て、帝の姻戚として目立つことを自分から嫌い、印綬を返して中散大夫に退いた人である。娘の書は、そういう男の手元に置かれたまま九年を過ぎ、伏完は死んだ。 表沙汰になったのは、その五年後である。214年に曹操が持ち出したのは、十四年前に書かれ、受け取った相手がすでに死んでおり、ついに一度も実行されなかった手紙であった。伏寿が殺されたのは、企てたからではなく、書いたからである。 廃后の手続きは、形のうえでは整っていた。御史大夫の郗慮が節を持ち、尚書令の華歆がその副となって、兵が宮中に入った。伏寿は戸を閉ざし、壁のなかに身を隠した。華歆は壁に手を入れて皇后を引き出した。 髪は乱れ、はだしであった。泣きながら歩かされる途中、外殿にいた帝のそばを通る。伏寿は別れを告げた——「もう、生かしてはくださらぬのですか」。帝は答えた——「私とて、いつまで命があるかわからぬ」。そして帝は、傍らに座っている郗慮を顧みてこう言った——「郗公、天下にこういうことがあってよいものか」。節を持った勅使は、天子の前に座ったまま、天子の后を連れ出していた。帝の問いに答えた者はいない。 暴室は、宮中で布を晒し洗う役所であり、罪を得た女たちを閉じこめる場所でもあった。皇后の最期の居所である。後漢最後の皇帝は、后と、その后が生んだ子をいちどに失ったことになる。 翌年の正月、曹操の娘の曹節が皇后に立てられた。伏寿が壁から引き出された宮の正位には、曹操の娘が座った。

評価

伏寿は、権臣・曹操のなすがままにされる夫・献帝を憂え、その専横に抗おうとして、一族もろとも滅ぼされた悲劇の皇后である。夫を救おうとした一途な思いが、かえって破滅を招いた。 引き出される際に帝にすがったその姿と、なすすべもなかった献帝の嘆きは、実権を失った後漢皇室の悲哀を、これ以上ないほど鮮烈に映し出している。

演義

小説『三国志演義』では、曹操の専横に抗する献帝の后として、その悲劇が描かれる。父・伏完と謀って曹操を除こうとするが露見し、宮中から引き出されて惨殺される。 帝にすがって助けを求める場面は、曹操の非情さと、傀儡と化した漢室の無力を象徴する、痛ましい名場面として綴られている。
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