かこうは

夏侯覇

仲権 生没年生没年不詳 所属

父の仇の国へ亡命した、夏侯淵の子

能力値
統率 C
武力 C
知力 D
計略 D
政治 E
人望 D
関連年表
後漢末 夏侯淵の次子として生まれる
219年 父が定軍山で黄忠に討たれ、末弟の夏侯栄も十三歳で戦死する
黄初年間 偏将軍となり、常に歯ぎしりして仇を誓ったと『魏略』は記す
244年 曹爽の蜀侵攻(興勢の役)に前鋒として従う
240年代 右将軍として隴西に屯し、恩信で羌・胡の心を収める
249年 高平陵の変。夏侯玄が召還され、不仲の郭淮が征西将軍となる
249年 身の危険を悟り、父の仇の国である蜀へ奔る
249年 道に迷い、馬を殺して歩き、岩陰に倒れて蜀の迎えに救われる
249年 劉禅に「父上は戦のさなかに討たれたのだ」と迎えられる
250年代 車騎将軍として姜維の北伐に従い、故国と戈を交える
姜維に問われ、若き鍾会が呉蜀の憂いとなると予言する

略歴

夏侯覇、字を仲権といい、魏の名将・夏侯淵の次子である。 建安二十四年(219年)、父・夏侯淵は定軍山で蜀の黄忠に討たれた。このとき末弟の夏侯栄も、わずか十三歳で父とともに戦死している。『魏略』は、以後の夏侯覇について「常に歯ぎしりして、仇に報いようとした」と記す。蜀は、彼にとって父と弟を奪った国であった。 黄初年間に偏将軍となり、正始五年(244年)、曹爽が蜀へ侵攻した興勢の役では前鋒をつとめた。のち右将軍に進み、隴西に駐屯する。ここで夏侯覇は、武によらず恩信をもって現地を治め、羌や胡の心を収めたと伝えられる。西方の事情に通じた、対蜀戦の要であった。 正始十年(249年)、高平陵の変が起こる。司馬懿が曹爽を滅ぼして実権を握ると、西方の司令官であった従兄弟の夏侯玄——曹爽の従弟にあたる——が中央へ召還され、代わって郭淮が征西将軍として着任した。夏侯覇は、かねてからこの郭淮と折り合いが悪かった。司馬氏による夏侯一族の粛清が迫るなかで、上官がよりによって不仲の相手に替わったのである。身の危険を悟った夏侯覇は、父の仇の国であるはずの蜀へ奔った。 その道行きは悲惨であった。『魏略』によれば、途中で道に迷って谷へ入り込み、糧が尽きて馬を殺して食い、徒歩で進むうちに足は傷だらけになって、岩の下に倒れ伏した。人をやって道を尋ねさせても、誰も分からない。この報せを聞いた蜀が、迎えの者を差し向けてようやく救われたという。 蜀は夏侯覇を厚く遇し、車騎将軍に任じた。以後、姜維の北伐に従い、かつての故国を相手に戦うことになる。彼が知り尽くした隴西の地形と人心は、そのまま蜀軍の資産となった。 その最期を、正史は記していない。

逸話

父の仇の国へ逃げ込んだ夏侯覇を、蜀の後主・劉禅はこう言って迎えたという。「あなたの父上は、戦のさなかに討たれたのだ。わが先人がみずから手にかけたわけではない」。そのうえで劉禅は、自分の子を指して言い添えた——「この者は、あなたにとって甥にあたる」。 これは方便ではなかった。建安五年(200年)、十三、四歳だった夏侯淵の従女が薪を採りに出たところを張飛に捕らえられた。張飛は相手が良家の娘と知って妻に迎え、その娘たちがのちに劉禅の皇后となっている。つまり劉禅の子には、夏侯氏の血が流れていた。 さらに因縁は深い。定軍山で夏侯淵が討たれたとき、その遺体を求めて葬ったのは、ほかならぬ張飛に嫁いだこの従妹であったと『魏略』は記す。父を討った国に、父を葬った身内がいる。夏侯覇が身を寄せた先は、そういう場所であった。 亡命そのものも、名門の将軍にふさわしい姿ではなかった。道に迷って谷へ入り込み、食糧が尽きて乗馬を殺して食い、徒歩で進むうちに足は傷だらけになる。ついに岩陰に倒れ伏し、人をやって道を尋ねさせても誰も知らない。蜀の迎えが来なければ、そのまま山中で果てていた。右将軍として隴西一帯の羌・胡の心を収めていた人物の末路が、これである。 蜀に落ち着いた夏侯覇は、やがて姜維から魏の内情を問われる。「司馬懿はすでに権柄を握ったが、こちらへ攻めてくる志はあるだろうか」。夏侯覇の答えは、後世に名高い——「彼は自分の家を固めるのに手一杯で、外のことにかまう暇はありません。ただ、鍾士季という者がおります。年こそ若いが、もしあの男が政を執るようになれば、呉と蜀の憂いとなりましょう」。 鍾士季、すなわち鍾会。このとき二十代半ばの若者である。それから十四年後の景元四年(263年)、鍾会は鄧艾とともに大軍を率いて蜀へ攻め入り、この国を滅ぼした。魏を捨てた男が、魏の誰よりも正確に、自国の次の脅威を見抜いていたことになる。 なお、末弟・夏侯栄の最期も付け加えておきたい。定軍山で父が討たれたとき、十三歳の栄に左右の者が逃げるよう勧めると、彼はこう答えて敵中へ突っ込み、そのまま死んだという——「君も親もここにおられる。どこへ行けというのか」。夏侯覇が生涯歯ぎしりして仇を誓った背景には、この弟の死もあった。その仇の国で、彼は車騎将軍として十年あまりを生きることになる。

評価

夏侯覇の生涯は、魏から晋への権力移行の激動が、いかに人の運命を翻弄したかを、鮮やかに物語っている。名門・夏侯氏の勇将が、司馬氏の専横を避けて父の仇の国へ亡命するという成り行きは、忠と生存、家と国のはざまに立たされた者の悲哀を映している。 蜀にあってなお勇将としての働きを見せたその姿は、時代の奔流に押し流されながらも、武人としての矜持を失わなかった一人の生き方を示している。

演義

小説『三国志演義』では、魏の将として登場したのち、司馬氏の台頭を恐れて蜀に亡命する。姜維に迎えられ、車騎将軍として北伐に加わり、かつての故国・魏を相手に戦う。 父・夏侯淵を討たれた仇の国に身を寄せるという数奇な転身が、時代の変転を象徴する挿話として描かれている。
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