そうほう

曹芳

字蘭卿 生没年232年 – 274年 所属魏

司馬氏の台頭に呑まれ、廃された魏の第三代

能力値
統率 F
武力 F
知力 E
計略 E
政治 E
人望 E
関連年表
232年 生まれる。出自は宮中で秘され、曹彰の孫とも伝わる
235年 齊王に立てられる
239年正月 明帝の病が篤くなり皇太子とされ、その日に即位する(八歳)
239年 大将軍・曹爽と太尉・司馬懿が輔政にあたる
249年 高平陵の変により、実権が完全に司馬氏へ移る
254年2月 皇后の父・張緝と中書令の李豊らの謀が露見する
254年3月 皇后・張氏が廃される
254年9月 使者の郭芝が太后に迫り、璽綬が差し出される
254年9月 斉王に落とされ、王車で太極殿の南から退去する
254年9月 見送った数十人のうち、太尉・司馬孚だけが泣いた
265年 晋の成立により邵陵県公に封じられる
274年 没する(四十三歳)。帝位にあった歳月より長く生きた

略歴

曹芳、字を蘭卿という。太和六年(232年)の生まれ。 その出自は、正史にも書かれていない。明帝・曹叡には実子が育たなかったため、曹芳と秦王・曹詢を宮中に養ったが、『三国志』は「宮省の事は秘せられ、その由来を知る者はなかった」と記す。裴松之注は、任城王・曹彰の子である曹楷の子であろうという説を伝えている。 青龍三年(235年)に齊王に立てられ、景初三年(239年)正月、明帝の病が篤くなると皇太子とされて、その日のうちに即位した。八歳であった。大将軍・曹爽と太尉・司馬懿が輔政にあたる。 正始十年(249年)の高平陵の変で曹爽が滅ぶと、実権は完全に司馬氏の手へ移り、皇帝は名ばかりの存在となっていく。 嘉平六年(254年)二月、中書令の李豊が光禄大夫・張緝らと謀って司馬師を除こうとした事件が露見した。この張緝は、曹芳の皇后・張氏の父である。三月、皇后の張氏も廃された。妻の父が謀り、妻が廃されたのである。 そして同年九月、司馬師は曹芳の廃位を決した。曹芳は斉王に落とされ、河内郡の重門に移されて、藩国の礼に準じた扱いを受けることになる。 廃位後の二十年は、おおむね平穏であった。泰始元年(265年)に晋が建つと邵陵県公に封じられ、泰始十年(274年)に世を去った。四十三歳であった。

逸話

曹芳が廃されたときの詔——形のうえでは郭太后の令——には、その罪状が並べ立てられている。 いわく、皇帝はすでに年長となったのに万機を親らせず、内寵に耽溺し、日に倡優(芸人)を招いてその醜穢を縦にし、六宮の家人を内房に留めて人倫の序を毀し、男女の節を乱した。恭孝は日に欠け、悖慢はいよいよ甚だしく、天命を承けて宗廟を奉るに堪えない——。 裴注はさらに具体的である。曹芳は小優の郭懐・袁信らを建始芙蓉殿の前で裸にして遊び戯れさせ、また広望観の上から「遼東の妖婦」という演目を演じさせた。その猥雑さが度を越していたため、道を行く人は目を覆ったという。 もちろん、これは廃位を正当化する側が書き残した記録である。だがこの皇帝が置かれていた立場を思えば、政務に背を向けたこと自体は理解しやすい。八歳で即位し、十八歳のときに輔政の一方が他方を滅ぼし、以後は決裁の余地を奪われた。二十三歳の年に義父が謀って露見し、妻は廃された。親政の機会は、ついに一度もなかった。 廃位を告げる場面の記録は、生々しい。司馬師は郭芝を遣わして太后に告げさせた。太后は帝と対座していた。郭芝は帝に向かって「大将軍は陛下を廃し、彭城王・曹據を立てようとしておられます」と言い放った。曹芳は立ち上がって去った。 不快をあらわにした太后に、郭芝はこう言った——「太后は子があっても教えることができなかったのです。いま大将軍の意はすでに定まり、外には兵を備えております。ただ旨に順われるほかに、何を言うことがありましょう」。太后が「わたしは大将軍に会って、直接言いたいことがある」と求めると、郭芝は「どうしてお会いできましょうか。ただ速やかに璽綬をお出しなさい」と斥けた。太后は折れ、侍女に璽綬を取らせて座の脇に置いた。 なお、このときの太后は明帝の皇后・郭氏(明元皇后)であり、曹丕の皇后であった文徳皇后・郭女王とは別人である。郭女王はこの十九年前に世を去っている。 そして退去の一景が、この時代の空気をもっとも鮮やかに伝えている。 曹芳は王の車に乗り、太極殿の南から宮城を出た。見送った群臣は数十人であった。そのなかで、太尉の司馬孚だけが悲しみに堪えられず泣いた。『三国志』はこう書き添えている——「余人は顔色自若たり」。ほかの者は、顔色ひとつ変えなかった。 司馬孚はのちに、魏最後の皇帝・曹奐が宮城を出るときにも手を取って泣き、「臣は死ぬ日まで大魏の純臣でございます」と言い切った人である。一族が天下を奪っていく過程で、二度にわたって退位する皇帝を泣いて見送ったことになる。 廃された曹芳は、それから二十年を生きた。帝位にあった十五年よりも長く、帝位を失ったあとの歳月を過ごしたことになる。

評価

曹芳は、幼くして帝位につきながら、成長するころには司馬氏の権勢が確立しており、ついに自らの意志で政をとることのできなかった、傀儡の皇帝である。専横を除こうとする動きに望みを託したものの、謀は露見して妻まで廃され、やがて自身も位を失った。廃位の詔が並べた遊興の罪状は、親政の余地を奪われた皇帝への評としては酷なものである。 その境遇は、魏の皇統が実権を失い、司馬氏へと傾いていく過程を、そのまま体現している。

演義

小説『三国志演義』では、司馬氏に実権を握られた無力な皇帝として登場する。 司馬師を除こうとする謀が破れ、廃位される。魏から晋への権力移行を描く終盤の背景として位置づけられている。
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