はんけん

樊建

字長元 生没年生没年不詳 所属蜀

黄皓に阿らず国政を担った、蜀末の尚書令

能力値
統率 F
武力 F
知力 C
計略 D
政治 C
人望 D
関連年表
蜀後期 尚書を経て、董厥に代わり尚書令となる
— 諸葛瞻・董厥とともに国政を統べる
— 黄皓と親しく往来せず節を守る
263年 蜀漢が滅亡する
264年 洛陽に上り相国参軍となる
264年 散騎常侍を兼ね、蜀に使いして人々を慰撫する
— 給事中となり、武帝に諸葛亮の治国を語る

略歴

樊建、字を長元といい、義陽の人である。蜀後期の重臣で、尚書を経て、258年に尚書令となった董厥のあとを襲い、自身も尚書令となった。衛将軍・諸葛瞻、董厥とともに、末期の蜀漢の国政を統べた。 蜀の末期、宦官・黄皓が権勢をふるい、多くの官がこれにおもねるなか、樊建は黄皓と親しく行き来しなかった数少ない一人であった。その清廉と節度は、乱れゆく蜀の朝廷にあって際立っていた。 263年に蜀が滅びると、翌264年、董厥らとともに洛陽に上って晋に仕え、のち給事中となった。生没年は伝わらず、正史に残る記述も董厥と並べた短いものにすぎないが、そこに置かれた一行の但し書きと、晋の武帝に旧主の宰相を問われて答えた言葉とが、この人の輪郭を伝えている。

逸話

『三国志』は、諸葛瞻・董厥・樊建が政を預かり、大将軍・姜維がつねに外征していたあいだに黄皓が権をほしいままにしたことを記し、三人まとめて「匡(ただ)し矯(た)めることができなかった」と断じている。そのうえで、樊建一人にだけ但し書きを付けた——「しかし建は、特に皓と和好して往来することがなかった」。同じ蜀の官として黄皓の専横を見ていた史家の筆は、失政の責を免じないまま、この一点だけを書き留めたのである。 蜀が滅んだ翌年、樊建は洛陽に上って晋の相国参軍となり、その秋には散騎常侍を兼ねて、使者として蜀に送り返された。役目は、故郷の人々を慰撫することであった。滅ぼされた国の尚書令が、征服者の官を帯びて同胞の前に立つ——亡国の臣に割り当てられた仕事である。 晋の武帝が、旧主の宰相について問うたときの答えが残っている。「諸葛亮の国の治めかたは、どのようであったか」。樊建は答えた——「悪しきを聞けば必ず改め、過ちを誇らず、賞罰の信は神明を感ぜしめるほどでした」。武帝は言った——「善いことだ。わたしがこの人を得て輔佐させていたなら、今日のような苦労はなかったろうに」。蜀を併せた側の天子が、滅ぼされた国の宰相を欲しがったのである。節を曲げずに国の最後を見た者だけが、この言葉を引き出すことができた。

評価

樊建は、黄皓の専横がはびこる蜀末にあって、これに与せず節を守り、国政を担った清廉の臣である。傾く国を支えようとしたその姿勢は、蜀漢の最後の良心の一つであった。 晋に仕えてのちも、旧主・諸葛亮の賢政を敬い、これを称えたその言葉には、亡国の臣の変わらぬ敬慕の情がにじんでいる。

演義

小説『三国志演義』では大きくは描かれないが、蜀末の重臣の一人として名が挙がる。 黄皓に阿らず政を担った実像は、蜀漢の落日を支えようとした忠臣たちの姿を物語っている。
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