かくしょう

郝昭

字伯道 生没年? – 229年 所属魏

陳倉を寡兵で守り抜き、諸葛亮を退けた守城の名手

能力値
統率 C
武力 C
知力 C
計略 D
政治 E
人望 D
関連年表
— 太原に生まれる。人となり雄壮で、若くして軍に入り部曲督となる
— 雑号将軍に昇り、河西の守りとして十余年、民も異民族も畏れ服す
228年12月 諸葛亮が数万を率いて陳倉を囲む(郝昭の兵は千余)
228年 同郷の靳詳が城外から降を勧めるが、拒む
228年 「わたしは卿を見知っているが、矢は見知らぬ」と告げる
228年 雲梯を火矢で焼き、吊り下げた石臼で衝車を砕く
228年 井闌からの射撃には二重の壁、地下道には横穴で応じる
228年 二十余日の攻防のすえ、諸葛亮が兵を退く
229年頃 明帝に賞され、列侯の爵を賜る
229年頃 病に臥し、子に「将とはなるべきものでないと知った」と遺して没す

略歴

郝昭、字を伯道といい、太原の人である。『魏略』はその人物を「人となり雄壮」と記す。若くして軍に身を投じて部曲督となり、しばしば戦功をあげた。やがて雑号将軍に昇り、河西の守りとして十余年を過ごした。この地では民も異民族も畏れ服したという。 太和二年(228年)十二月、諸葛亮が第二次の北伐に出て陳倉を攻めたとき、郝昭の名は一躍とどろくことになる。このとき郝昭が陳倉城に擁していたのは、わずか千余りの兵にすぎなかった。対する諸葛亮は数万の大軍である。東からの救援もすぐには到着しないと見積まれていた。 諸葛亮はまず郝昭と同郷の者を遣わして降伏を勧めたが、郝昭はこれを拒んだ。 かくして猛攻が始まる。諸葛亮は梯子や破城槌を寄せ、物見やぐらから矢を射込み、塹を埋めて城壁へ取りつき、地下道を掘って城内へ出ようとした。だが郝昭は、そのひとつひとつに対応する手を持っていた。あらゆる攻城の手立てを、ことごとく防ぎきったのである。 昼夜の攻防は長く続き、ついに諸葛亮は手だてを失い、魏の援軍が近づくなかで兵を退いた。 この籠城の功によって、郝昭は明帝・曹叡から賞され、爵を賜った。だが、まもなく病を得て世を去っている。

逸話

降伏勧告をはねつけたときの郝昭の言葉が、『魏略』に残っている。 諸葛亮は、郝昭と同郷の靳詳という男を城外に立たせ、遠くから説かせた。郝昭は楼の上から応えた——「魏家の科法は、卿もよく知っているところだ。わたしの人となりも、卿が知っているところだ。わたしは国の恩を多く受け、守るべき門戸は重い。卿に言うべきことは何もない。ただ必ず死ぬだけだ。卿は帰って諸葛に謝し、攻めてよいと伝えよ」。 靳詳がこれを伝えると、諸葛亮はもう一度説かせた。人も兵も敵わないのだから、空しく自ら破滅することはあるまい、と。 郝昭の二度目の返答が、この攻防の調子を決めている——「前に言ったことはすでに定まっている。わたしは卿を見知っているが、矢は見知らぬぞ」。 旧知の相手に向かって、これ以上近づけば射る、と告げたのである。靳詳は去った。 そして始まった二十余日の攻防は、攻城戦の教科書のようなやり取りになった。雲梯には火矢、衝車には吊り下げた石臼、井闌からの射撃には二重の壁、地下道には横穴——諸葛亮が繰り出した手立てのすべてに、郝昭は対応する手を持っていた。千余の兵が数万の軍を押し返した理由は、城の堅さではなく、この引き出しの多さであった。 だが、この人が残した言葉のなかで最も重いのは、籠城の際のものではない。死に臨んで子の郝凱に与えた戒めである。 「わたしは将となって、将とはなるべきものでないことを知った」——そう言ったあと、郝昭は理由を一つ挙げた。「わたしは何度も墓を発いて、その木材を取って攻城の道具にした」。城を攻めるために他人の墓を掘り、棺の板を資材にしてきた。それをした自分が、立派な墓に葬られるわけにはいかない、ということである。 続けてこう命じた。「厚葬が死者にとって無益であることも知っている。おまえは必ず平服で納めよ。それに、人が生きるには居場所が要るが、死んでからはどこにいようか。いま本来の墓所からは遠い。東西南北、おまえの好きなところでよい」。 守城の名手として明帝から爵を賜った人物が、自分の職業を否定し、墓の場所さえ子に委ねて死んだ。陳倉の二十余日を凌ぎきった粘り強さと、この遺言の静けさは、同じ一人のものである。

評価

郝昭は、寡兵をもって大軍を退けた、三国屈指の守城の名手である。あの諸葛亮の周到な猛攻を、あらゆる手立てで凌ぎきった陳倉の防衛戦は、攻城・守城の戦史における白眉として、後世に語り継がれた。 派手な野戦の勲功ではなく、一城を守り抜く不屈の粘りにこそ、その真価があった。もっとも本人は死に臨んで「将とはなるべきものでないと知った」と子に遺し、平服での埋葬を命じている。

演義

小説『三国志演義』では、諸葛亮の北伐を陳倉で阻む頑強な守将として描かれる。諸葛亮のあらゆる攻城の計を、火矢や石臼などで次々に打ち破る。 数万の蜀軍を千余の兵で防ぎきる奮戦は、名軍師・諸葛亮をもってしても落とせぬ堅城の物語として、印象深く綴られている。
本格三国志RPG

あなただけの武将で乱世へ。修行で鍛え、仲間を集め、城を取り、天下統一を目指す。

修行 登用 侵攻 天下図
ブラウザで無料・登録して今すぐ遊べる
新規登録して始める ログイン 登録は無料・すぐ始められます
情勢 第3期が満了したが、覇者は現れなかった…… 第2期が満了したが、覇者は現れなかった…… 第1期が満了したが、覇者は現れなかった……
三国志入門 初心者向けにやさしく解説する連載 入門を読む 三国志 歴史年表 184〜280年を「演義」と「正史」で読む 年表を見る
法人アカウント

あなたの記事を、三国志ファンへ

法人アカウントを取得すると、三國志.JP に記事を投稿できます。三国志に関心の高い読者に、あなたの記事を届けられます。

魏・武力ランキング

お知らせ

現在お知らせはありません。