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二十二章:関羽の死

関羽は宛の曹仁を攻め勝利を収める中、曹操はすぐに援軍としてホウ悳を派遣しました。

ホウ悳は、元は馬超の配下であり、兄ホウ柔(ほうじゅう)は蜀に仕える状況で、曹操軍の周囲では蜀に寝返るのではないかと噂され、棺(ひつぎ)を持って出陣したのです。つまり、戦いに敗れれば死ぬ覚悟を現したものです。

ホウ悳は上官である于禁(うきん)と作戦上でウマが合わず、なんとしても関羽を討つことに焦ります。それが奏して関羽に負傷させるなど、善戦しましたが惜しくも機会を逃すことになります。

しかし関羽軍は、敵を誘い込み長雨でせき止めた水を氾濫させ、曹操軍陣営を水没させて逆転勝利を収めるのでした。于禁、ホウ悳らは捕らわれることになります。于禁は命乞いをして投獄され、ホウ悳は説得して蜀に誘うのですが、忠義を貫き処刑されるのでした。

この関羽の勝利は天下に響き、曹操は恐れて遷都することも考えるほどでした。

その頃、呉の呂蒙は関羽の留守をついて荊州を奪おうとするのですが、関羽の狼煙の策に騙され身動きできずにいたのです。狼煙の策とは、居城に狼煙を上げ、敵が攻めてくればそれを合図として関羽に知らせるものでした。

しかし、呉の呂蒙は陸遜、呂範らの策で静寂を保ち荊州城を囲むことになります。荊州に残っていた蜀の麋芳(びほう)、傅士仁(ふしじん)らは呉に降伏しあっさりと荊州を呉に差し出したのです。

関羽は急いで荊州奪還に戻るのですが、陸遜の計略で荊州に家族を残してきた関羽軍の兵士らは関羽から去ってしまい、わずか500兵となってしまうのです。関羽の配下、廖化(りょうか)はすぐに援軍を求めに上庸(じょうよう)の孟達(もうたつ)を頼りますが、断られそのまま蜀へ向かうのでした。

関羽は呉の大軍に守ることすらできず、古城の麦城へ逃げ込みます。援軍も到着せず兵糧を尽き、関羽は決しの脱出を図りますが、呉軍に囲まれ捕らわれるのです。

そして関羽、息子の関平は処刑されるのでした。呉は荊州を掌握し、魏も北側の荊州領土を掌握するのでした。

廖化が蜀に援軍を求めて成都に着いた際は既に関羽は死に、それをきいた劉備は泣き崩れ、数日寝込んでしまったとあります。

呉の孫権は、関羽の首を曹操の下へ送るのでした。演義では関羽の亡霊事件が多発し、呂蒙が謎の死を迎え、様々な奇妙な現象が起きたため、曹操に災いを転じたのです。

魏と呉の不可侵条約により蜀だけが取り残されたかのように思えましたが、魏呉が再び争うのも時間の問題でした。そして、曹操は病に倒れ、一つの時代が終わろうとしていたのです。