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三国志入門


三十三章:巨星落つ

北伐軍を興して五度目。
およそ7年が過ぎ軍と物資を消耗し続けた蜀軍、大柱石とも云える諸葛亮の病気は加速しました。

諸葛亮は長安から一番近い場所である五丈原へ軍を進めて魏と対峙するのです。諸葛亮は意識不明なほど重体となり、楊儀・姜維らに遺言を残すのです。演義では諸葛亮は、12年寿命が延びるという延命の祈祷を行います。一週間、多数のロウソクの火を消すことなく延々と祈祷することができれば、延命ができるというものでした。

魏の司馬懿は天文を観て諸葛亮が重病であることを察知し、先方を出して挑発させます。勿論、これに打って出ようとしなければ、蜀軍で重大なことが起きたと考えられる訳です。魏が攻めてきたことにより、魏延は諸葛亮に報告するのでした。しかし、祈祷中の諸葛亮はなにも言わず、魏延は焦りながらしゃがみ込んだ瞬間、ロウソクが一本倒れ火が消えてしまい、延命祈祷は成せなかったエピソードがあります。

諸葛亮は自分の病気は天命として、姜維に軍略書物を託し、楊儀に蜀軍撤退の指揮を任せたのです。

諸葛亮、夢半ばにして五丈原で死去します。享年54歳。

魏の司馬懿は諸葛亮が死んだことを確信し、全軍を持って攻め込みました。しかし、諸葛亮が突如現れ、司馬懿は大変慌てて撤退します。今までの戦いで散々な目に遭ったのが伺えました。司馬懿は諸葛亮の罠として全力で退却したのです。

しかし後ほどの斥候の調べでは、諸葛亮は死去し司馬懿が見たものは諸葛亮を似せた人形だったのでした。このことから「死せる孔明、生ける仲達を走らせる」という故事成語ができたのです。

蜀軍は全軍無事に漢中へ退却したのですが、先鋒を務めていた魏延が楊儀と馬が合わず対立します。魏延は謀反の容疑として馬岱にふいを突かれて殺害されるのでした。
蜀皇帝・劉禅は諸葛亮の死に嘆き悲しみ、多くの将兵らがその偉大さを惜しむのでした。

諸葛亮の跡に丞相として蒋エン、大将軍として馬岱、そして将来の蜀を姜維が奮戦することになります。

その後、魏では諸葛亮が死去したことに喜び、皇帝の曹叡は天下を手中にできたと思い、住民を借り出しては大規模な公宮を建造したり、それを諌める忠臣は処刑されるなどして腐敗しました。それに反乱を起こした遼東の公孫淵は、呉の認可で王となります。

司馬懿はすぐ様、公孫淵討伐軍を起こして、わずか4万で15万の大軍を破るのでした。司馬懿が乱を平定後、凱旋すると曹叡は明日をも知れない病気にかかり、わずか34歳で逝去します。わずか7歳の幼い曹叡の子・曹芳が皇帝となり、補佐として曹爽(曹真の子)と司馬懿が支えることになるのでした。

さて、いよいよ三国志も終盤と物語が進みます。
ここからは司馬一族が台頭するお話です。