三大戦い 200年
かんとのたたかい

官渡の戦い

曹操が寡兵で袁紹の大軍を破り、華北の覇権を握った天下分け目の決戦。

時期
200年(建安5年)
場所
官渡(河南省鄭州市中牟県付近)
結果
曹操の勝利
兵力
曹操軍 約1〜3万/袁紹軍 約10万(諸説あり)
立脚点
正史

概説

200年(建安5年)、中原の覇権をめぐって曹操と袁紹が激突した戦い。河北四州を制する袁紹が十万の大軍で南下したのに対し、曹操はわずかな兵で官渡に拠って持久し、袁紹軍の兵糧集積地・烏巣を奇襲して焼き払うことで戦局を一挙に逆転させた。この勝利により曹操は華北の主導権を握り、のちの魏の礎を築いた。三国志の帰趨を決した三大戦いの一つに数えられる。

背景

後漢の権威が崩れる中、曹操は献帝を許に迎えて「天子を奉じて不臣を討つ」大義を握り、中原に勢力を伸ばした。一方、名門四世三公の袁紹は公孫瓚を滅ぼして河北四州を統一し、天下最大の勢力となる。両雄の衝突は必至であり、袁紹は精兵十万・騎一万を催して許都をうかがった。曹操の兵力はその数分の一に過ぎず、内部にも袁紹に通じる者が少なくなかった。多くの者が勝ち目を疑う中、荀彧は袁紹に対する曹操の「四つの勝る点」を説いて主を励ましたという。

経過

緒戦、袁紹は大将 顔良に白馬を包囲させたが、曹操は荀攸の策で敵を欺いて急襲し、関羽が万軍の中で顔良を斬った。続く延津でも文醜が討たれ、袁紹は緒戦で二人の名将を失う。しかし本戦では兵力差が響き、曹操は官渡に塁を築いて守勢に回り、戦線は膠着して兵糧も尽きかけた。転機は、袁紹の謀臣・許攸の来降である。許攸は袁紹軍の糧秣が烏巣に集積され、守りが手薄であることを明かした。曹操は自ら精兵を率い、袁紹軍を装って夜陰に烏巣へ迫ると、これを急襲して兵糧をことごとく焼き払う。補給を絶たれた袁紹軍は動揺し、張郃・高覧の降伏を機に総崩れとなった。

結末と影響

袁紹はわずかな騎兵とともに河北へ逃げ帰り、以後 勢力を回復できぬまま二年後に病没した。曹操はその子 袁譚・袁尚の内紛につけ込んで河北を平定し、名実ともに中原の覇者となる。少数が大軍を破ったこの戦いは、補給線を断つことの決定的な重要性を示す戦例として、後世まで語り継がれた。官渡の勝利がなければ、曹操の天下も、やがての三国鼎立もなかったといってよい。

逸話

戦後、袁紹の陣営跡からは、曹操配下の者が密かに袁紹へ送っていた内通の書簡が多数見つかった。左右の者がその名を調べて処断するよう勧めたが、曹操は「袁紹が強かったころは、この私でさえ身を守れるか危ういほどだった。まして他の者はなおさらだ」と言って、書簡を一読もせず焼き捨てさせたという。人心を収める曹操の器量を示す逸話として名高い。

演義

『三国志演義』では、許攸が曹操を訪ねた際、曹操が喜びのあまり履物も履かずに迎えに走り出る場面が描かれる。また関羽が顔良を斬る件は、曹操の厚恩に報いる関羽の義の見せ場として大きく脚色される。史実では緒戦の一挿話にすぎない白馬・延津の戦いも、物語では関羽の武勇伝として際立たせられている。

本文に登場する武将 (言及)

こうらん
高覧
生没年不詳

演義では猛将として描かれている武将

賈詡
かく
賈詡
147年 – 223年
文和  粛侯

前漢の張良・陳平に比せられる策略家

後漢
きょこう
許貢
? – 200年

孫策を項羽に例えたとされ、食客らによって名を残した人物

郭嘉
かくか
郭嘉
170年 – 207年
奉孝 

河北の袁家を滅ぼし、魏の基盤を支えた第一参謀

がくしん
楽進
? – 218年
文謙  威侯

曹操の挙兵時より従った古参の武将

後漢
ほうき
逢紀
? – 202年
元図 

冀州を袁紹に奪わせて、諫言で忠臣を退けた人物

じんしゅん
任峻
? – 204年
伯達  成侯

屯田制に成功して政治的に大きく貢献した人物

曹仁
そうじん
曹仁
168年 – 223年
子孝  忠侯

曹操の覇権を助け、各地を転戦した猛者

りてん
李典
生没年不詳
曼成  愍侯

歴戦を転々とし武功を立てた謙虚な人物

夏侯淵
かこうえん
夏侯淵
? – 219年
妙才  愍(びん)侯

奇襲攻撃や兵糧監督などの後方支援を得意とする軍人

きょちょ
許褚
生没年不詳
仲康  壮侯

怪力で曹操を守り、魏随一の猛将

于禁
うきん
于禁
? – 221年
文則  厲侯

名将として曹操に誉れたが、関羽との戦いで晩節を汚す

かんかい
桓階
生没年不詳
伯緒  貞侯

正義を貫くことに熱心して、主君に対してあえて苦言を呈する臣

後漢
りゅうひょう
劉表
? – 208年
景升 

荊州で一大勢力を統率しながら、優柔不断で時節を失った群雄

後漢
しんぱい
審配
? – 204年
正南 

袁家に対して忠義を貫き、最期まで抵抗した人物

ちょうしゅう
張繍
生没年不詳
定候

曹操を負かして名を挙げ、降伏して勇猛さを愛された人物

しかん
史渙
? – 209年
公劉 

任侠にして勇敢であり、忠義と武勇を備えていた武将

りふ
李孚
生没年不詳
子憲 

曹操に認められ、見事に一泡吹かせた老いてますます大胆な策士