198年
かひのたたかい

下邳の戦い

曹操と劉備が呂布を水攻めで破り、白門楼で処刑した戦い。呂布の最期。

時期
198年(建安3年)
場所
下邳(江蘇省徐州市睢寧県付近)
結果
曹操の勝利(呂布を捕らえ処刑)
兵力
諸説あり
立脚点
正史

概説

198年、徐州の下邳に拠る呂布を、曹操と劉備の連合軍が包囲して滅ぼした戦い。堅城に籠る呂布を、曹操は泗水・沂水を引いた水攻めで追い詰め、内部の裏切りによってこれを捕らえた。三国志随一の猛将 呂布は、下邳城の白門楼で処刑され、その波乱の生涯を閉じた。

背景

呂布は、身を寄せていた劉備から徐州の下邳を奪って自らの本拠としていた。定まらぬ去就で周囲と対立を重ねた呂布に対し、曹操は劉備と結んで討伐に乗り出す。呂布は袁術との連携を頼みとしたが、援軍は当てにならず、孤立を深めていった。

経過

曹操軍は下邳を包囲したが、城は堅く容易に落ちなかった。長陣に将兵が倦みはじめると、荀攸と郭嘉は「呂布は勇はあるが謀がなく、今その気は挫けている。攻めを緩めてはならぬ」と説き、曹操は攻囲を続けた。やがて曹操は泗水・沂水の堤を切って城へ水を流し込み、下邳を水浸しにする。水に囲まれて士気の衰えた城中では、呂布の部下 侯成・宋憲・魏続が謀って陳宮・高順を縛り、城門を開いて降伏した。呂布も捕らえられ、白門楼へ引き出される。

結末と影響

白門楼で呂布は命乞いをしたが、傍らの劉備が「丁原と董卓の末路をお忘れか」と告げると、呂布がかつて義父を相次いで裏切った過去を思った曹操は処刑を決した。呂布は縊り殺され、あわせて高順・陳宮も刑に処される。一方、義に厚い将として知られた張遼は曹操に降り、以後は魏の名将として活躍した。徐州の争奪に終止符が打たれ、曹操は東方の脅威を除いて官渡の決戦へと向かう。

演義

『三国志演義』では、下邳落城の場面が呂布という英雄の悲劇として印象深く描かれる。酒色に溺れて忠言を退け、部下の心が離れていく呂布の姿、白門楼での命乞いと劉備の一言、そして陳宮が従容として死に就くさまが対比され、勇のみに頼った者の末路が鮮やかに語られる。