さんとう

山濤

字巨源 生没年205年 – 283年 所属晋

清談から実務へ、人を選び抜いた竹林の年長者

能力値
統率 F
武力 F
知力 C
計略 E
政治 C
人望 C
関連年表
205年 河内郡懐県に生まれる。早くに父を失い貧しく暮らす
— 荘子・老子を好み、身を隠して自らを目立たせない
— 嵆康・阮籍と金蘭の契りを結ぶ
— 妻の韓氏が壁を穿って一晩覗き、「識度で友とすべき」と評す
244年頃 四十歳でようやく郡の主簿となる
— 司馬師に召され、趙国相・尚書吏部郎を経て選官の任に就く
— 嵆康を後任に推挙し、絶交書で拒まれる
262年 嵆康が刑に臨み「巨源がいる。おまえは孤児にはならない」と遺す
— 袁毅の贈った絲を封も開けずに蔵し、のち塵のまま吏に渡す
— 評語を添えた推挙が「山公啓事」と称される(選官十余年)
— 『書経』康誥を引いて嵆紹の任用を請い、武帝が丞に任じる
— 出仕を迷う嵆紹に「天地四時にも消息がある」と答える
283年 司徒に至り、没する(七十九歳)

略歴

山濤、字を巨源という。建安十年(205年)の生まれ。河内郡懐県の人で、父の山曜は宛句県令であった。 早くに父を失い、貧しく暮らした。若くして器量を備えていたが、介然として群れず、荘子・老子を好んで、つねに身を隠して自らを目立たせなかった。 嵆康・阮籍と出会って金蘭の契りを結び、竹林の七賢のなかでは最年長格として清談に遊んだ。だが七賢のうちで最も現実に通じた人物でもあった。 官途に就いたのは遅く、四十歳でようやく郡の主簿となっている。のち司馬師に召されて趙国相・尚書吏部郎となり、晋が建つと選官の任を担った。 その本領は、人物を見抜く眼にあった。吏部で官吏の任免をつかさどると、一つの官が欠けるたびに数人を択んで挙げ、それぞれに評語を添えた。その推挙の文書は「山公啓事」と呼ばれ、公正な人事の手本とされた。十余年にわたって選官の職にあり、その評は言葉のとおりであったと正史は記す。 かつて山濤が選官を去るにあたって嵆康を後任に推挙したとき、嵆康は絶交の書をもってこれを拒んだ。だがその嵆康は処刑されるにあたり、幼い遺児の後事を、ほかならぬ山濤に託している。山濤はその信頼にこたえ、長じた遺児を朝廷に推して世に出した。 官は司徒に至った。太康四年(283年)に没した。七十九歳であった。

逸話

山濤という人物を、もっとも的確に評したのは妻であった。 嵆康・阮籍と深く交わる夫を見て、妻の韓氏は常の友人関係とは違う何かを感じ、理由を問うた。山濤は「わたしが友とすることができるのは、ただこの二人だけだ」と答えた。すると妻は、春秋時代の負羈の妻が賢人を覗き見た例を引いて、「わたしも見てみたいが、よいか」と言った。 後日、二人が訪ねてきた夜、妻は夫に勧めて泊まらせ、酒と肉を用意した。そして壁に穴を穿って覗き、朝になるまで戻るのを忘れていた。入ってきた山濤が「二人はどうであった」と問うと、妻はこう答えた——「あなたの才致はまったく及びません。ただ識度(見識と度量)をもって友とされるべきです」。 山濤の返事がいい。「彼らもまた常に、わしの度量のほうが勝っていると言っている」。 才では及ばないと妻に言われ、そのとおりだと認めたうえで、自分に何があるかを知っていた。長く官に就かず荘老を好んで身を隠していた人が、晋の選官として十余年を務め上げた理由が、この一点に尽きている。 処世の巧みさを示す逸話もある。袁毅という男が賄賂として絲百斤を贈ってきたとき、山濤は突き返さなかった。突き返せば周囲から浮いてしまう。受け取って、そのまま閣上に置いた。のちに袁毅の汚職が発覚し調べが入ると、山濤はその絲を取り出して役人に渡した。積年の塵埃をかぶったまま、封印は受け取ったときのままであったという。 そして、この人の生涯でもっとも重いのは、絶交された友との関係である。 山濤は選官の職を去るにあたって嵆康を後任に推した。嵆康はそれに対し、官に就けない理由を列挙した絶交書を送りつけてきた。関係はそこで切れたかに見える。 ところが景元三年(262年)、嵆康は刑に臨んで、十歳の子・嵆紹にこう言い残した——「巨源がいる。おまえは孤児にはならない」。巨源とは山濤の字である。絶交書を送った相手に、自分の子を託したのである。 山濤は、それに応えた。嵆紹は罪人の子として門を閉ざして暮らしていたが、選官の任にあった山濤は武帝に上奏する。「『書経』康誥に言葉がございます。父子は罪が相及ばない、と。嵆紹の賢は古の郤缺に等しく、召されるべきです。秘書郎に任じられますよう」。武帝の答えはこうであった——「卿の言うとおりであれば、丞にも堪えよう。郎だけでよいのか」。嵆紹は秘書丞として世に出た。 出仕をためらう嵆紹が、仕えてよいのかと相談したときの山濤の答えも残っている。父を殺した王朝に仕えることの是非である。山濤はこう言った——「君のためにそれを長く考えてきた。天地にも四季にも消息(移り変わり)がある。まして人においては、なおさらではないか」。 竹林に遊んだ三人は、それぞれ違う道を選んだ。嵆康は拒んで殺され、阮籍は酔狂に逃れて世を渡り、山濤は官に就いた。俗に下ったと見られた山濤が、殺された友の子を救い、その子を世に出した。七十九歳まで生きて、司徒に至っている。

評価

山濤は、清談の名士でありながら実務にも長け、とりわけ公正な人物眼をもって晋の人事を支えた。竹林に遊んだ自由の精神と、官途にあっての堅実な手腕とを、みごとに両立させた稀有の人物である。 友・嵆康の遺児を守り抜いた一事は、その人柄の厚みをよく物語る。俗を離れた七賢のなかにあって、現実の世に責任を果たした点で、独自の光を放っている。

演義

小説『三国志演義』では大きくは描かれないが、竹林の七賢の一人として名が伝わる。 清談の名士から晋の高官へと転じ、公正な人事で知られたその実像は、魏末から晋にかけての知識人の一つの生き方を示している。
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