ぶんおう

文鴦

次騫 生没年238年 – 291年 所属

単騎で司馬師の大軍を退けた、魏末の猛将

能力値
統率 D
武力 B
知力 E
計略 E
政治 F
人望 D
関連年表
238年 魏の将・文欽の子として生まれる。名は俶、鴦は小字
255年 十八歳で、父と毌丘倹の挙兵(淮南三叛の第二)に従う
255年 夜襲を献策し、司馬師の本営に斬り込む
255年 驚いた司馬師の眼球が飛び出し、まもなく許昌で没する
255年 単騎で数千の追撃騎中を六、七度往復して退く
255年 敗北ののち、父とともに呉へ亡命する
258年 諸葛誕に父を殺され、弟・文虎とともに司馬昭に降る
258年 助命された姿を城外に示され、寿春の士気を崩す
277年 涼州で鮮卑の禿髪樹機能を大破し、胡人二十万口が降る
291年 諸葛誕の外孫・司馬繇の誣告により、三族を誅される

略歴

文鴦、名を俶、字を次騫といい、鴦はその小字である。魏の揚州刺史・文欽の子で、正元二年(255年)の挙兵のとき、まだ十八歳であった。 その年、父・文欽は毌丘倹とともに寿春で兵を挙げた(淮南三叛の第二)。鎮圧に向かった司馬師は、このとき目にできた腫れ物を切除したばかりで、傷の癒えぬ身であった。 文鴦は父に献策する——敵がまだ陣を固めぬうちに撃てば破れます、と。軍を二隊に分け、夜陰に乗じて司馬師の本営を挟撃する手はずであった。文鴦は壮士を率いて先に到着し、鬨の声を上げて斬り込んだ。だが、もう一隊の父の軍は約束の刻限までに現れず、挟撃は成らなかった。 それでも、この夜襲がもたらした結果は大きかった。『魏氏春秋』によれば、司馬師は文鴦の鬨の声に驚愕のあまり、切ったばかりの眼窩から眼球が飛び出した。将士に動揺が伝わるのを恐れ、布団を噛んで声を殺し、布団がことごとく破れたという。司馬師はまもなく許昌で没する。四十八歳であった。 退却に際しての働きは、さらに名高い。数千の追撃騎に対し、文鴦はただ一騎で敵中へ突入しては百余人を殺傷して脱け、それを六、七度くり返した。ついに追う者は誰も近づけなくなったという。 乱の敗北後、文鴦は父とともに呉へ亡命した。だが甘露三年(258年)、諸葛誕の乱(淮南三叛の第三)に呉からの援軍として寿春へ入った父・文欽は、城中で諸葛誕と対立し、ついにその手にかかって殺される。文鴦は弟の文虎とともに城を脱し、司馬昭に降った。 のち晋に仕え、咸寧三年(277年)には涼州方面の諸軍を督して、鮮卑の禿髪樹機能を大破している。このとき降った胡人は二十万口に及んだ。 だが元康元年(291年)、八王の乱の渦中で謀反を誣告され、三族もろとも誅された。五十四歳であった。

逸話

十八歳の夜襲がもたらしたものは、戦術的な成果ではなかった。挟撃を約した父の軍は刻限に現れず、作戦そのものは失敗している。それでも司馬師は死んだ。 『魏氏春秋』の描写は生々しい。司馬師は目にできた腫れ物を切除したばかりで、傷が深かった。そこへ文鴦の鬨の声が陣中に響く。驚愕のあまり眼窩から眼球が飛び出したが、司馬師はそれを将士に悟られまいとして、布団を口に押し当てて声を殺した。布団はことごとく食い破られていたという。魏の実権を握って二年、四十八歳での急死であった。 退却時の働きも、この時代には珍しいほど鮮烈である。数千騎の追撃を受けて味方の騎兵が散り散りになるなか、文鴦はただ一騎で敵の群れへ突っ込み、そのつど百余人を殺傷して抜け出してきた。それを六、七度くり返すと、追う者は誰も間合いを詰めようとしなくなったという。長坂の趙雲を思わせる働きが、三国の最末期に現れたことになる。 だが、この人の生涯を決めたのは武勇ではなく、因縁であった。 呉へ亡命した三年後、父・文欽は諸葛誕の援軍として寿春へ入り、城中で対立した末に諸葛誕に殺される。父の仇は城の中にいて、城を囲んでいるのは司馬昭——文鴦が死なせた司馬師の弟である。文鴦は弟とともに城を出て、この司馬昭に降った。 司馬昭の処置は冷徹であった。文鴦を斬らず、将軍・関内侯に任じたうえで、数百騎を従えて寿春の城壁の周りを巡らせたのである。「あの文欽の子ですら助命されている」——城兵にそう見せつけるためであった。士気は崩れ、寿春はほどなく落ちた。父を殺した男を滅ぼすために、父の仇の側が用意した舞台に立たされたことになる。 因縁は三十三年後に回収される。元康元年(291年)、八王の乱の渦中で、東安王・司馬繇が文鴦を謀反の一味として誣告し、三族を誅した。この司馬繇は、諸葛誕の外孫であった。祖父を死に追いやった寿春の落城——その一因となった男を、彼は許していなかったのである。五十四年の生涯は、寿春から始まり、寿春の記憶によって終わった。

評価

文鴦は、三国末期にあって、ひときわ鮮烈な武勇を放った猛将である。とりわけ、若くして単騎に等しい働きで司馬師の大軍を翻弄した一戦は、往年の趙雲・張遼の勇に比せられ、後世に語り草となった。 魏・呉・晋と主を変えざるをえなかったその生涯は、時代の激流に翻弄されつつも、武人としての強烈な輝きを失わなかった。だが最後は乱世の讒言に斃れ、乱世の勇者の宿命を思わせる。

演義

小説『三国志演義』では、父・文欽の挙兵に従い、寿春の戦いで八面六臂の活躍を見せる若武者として描かれる。単騎で司馬師の軍中に斬り込み、追いすがる敵騎を幾度も打ち払う場面は、物語屈指の武勇伝の一つである。 その猛勇は、三国の物語の終盤にあってなお、往年の名将たちを思わせる輝きを放っている。
本格三国志RPG

あなただけの武将で乱世へ。修行で鍛え、仲間を集め、城を取り、天下統一を目指す。

修行 登用 侵攻 天下図
ブラウザで無料・登録して今すぐ遊べる
新規登録して始める ログイン 登録は無料・すぐ始められます
情勢 第2期が満了したが、覇者は現れなかった…… 第1期が満了したが、覇者は現れなかった……
三国志入門 初心者向けにやさしく解説する連載 入門を読む 三国志 歴史年表 184〜280年を「演義」と「正史」で読む 年表を見る
法人アカウント

あなたの記事を、三国志ファンへ

法人アカウントを取得すると、三國志.JP に記事を投稿できます。三国志に関心の高い読者に、あなたの記事を届けられます。

魏・知力ランキング

お知らせ

現在お知らせはありません。