かんろ

管輅

公明 生没年209年 – 256年 所属

数々の的中で名を馳せた、魏の占術の名人

能力値
統率 F
武力 F
知力 C
計略 E
政治 F
人望 D
関連年表
209年 平原郡に生まれる
217年頃 八、九歳で夜ごと星を仰ぎ、星の名を問い続ける
223年頃 十五歳で琅邪太守・単子春の賓客を論破し、名を知られる
240年代 隠された器物を言い当て、家の怪異を占って的中を重ねる
248年12月 何晏の「青蠅の夢」を占い、位を保つには行いを改めよと説く
248年12月 鄧颺の「老生の常譚」に切り返し、成語の由来となる
248年12月 帰宅後、二人を「鬼躁」「鬼幽」の死相と身内に語る
249年正月 高平陵の変により何晏・鄧颺が誅される
自らを短命の相と見て「四十七、八を過ぎまい」と語る
255年 少府丞となる
256年2月 四十八歳で没する

略歴

管輅、字を公明といい、平原郡の人である。建安十四年(209年)の生まれ。『三国志』魏書の方技伝に、華佗・杜夔らと並んで伝が立てられている実在の占術家であり、弟の管辰が書いた『管輅別伝』が裴松之注に大量に引かれていて、その言動はきわめて詳しく残されている。 幼いころから、夜空を仰ぐのを好んだ。八、九歳のころには夜ごと星を眺め、人を捕まえては星の名を問い、眠ろうとしない。父母がこれを禁じても止まなかった。そのとき、こう言ったという——「家の鶏や野の雁でさえ時節を知っております。まして人間であればなおのこと」。 十五歳のとき、琅邪太守・単子春のもとで居並ぶ賓客と論じ合い、これを圧倒して一躍名を知られた。長じて『易』に通じ、風角(風による占い)と相術(人相占い)を善くした。 その一方、人となりは風変わりであった。容貌は醜く、威儀をつくろわず、酒を好み、身分の上下を選ばずに飲み食いし戯れた。占術の権威というより、市井の奇人に近い風情である。 数々の的中が伝えられるなかで、最もよく知られるのが、正始九年(248年)十二月に何晏・鄧颺と交わした問答である。管輅は何晏の見た夢を占い、そして帰宅後、この二人には遠からず死相が出ていると身内に語った。翌正月、高平陵の変が起こり、何晏・鄧颺は曹爽とともに誅された。 管輅はまた、自らの相を見て短命を予見していた。正元二年(255年)に少府丞となり、その翌年二月に没する。四十八歳。かつて「四十七、八を過ぎることはあるまい」と語っていた、そのとおりであった。

逸話

「老生の常談」という言葉は、この人の口から生まれた。 正始九年(248年)十二月、当時ならぶ者なき権勢にあった何晏が、管輅を招いて占わせた。まず「私が三公に至る夢を見た」という件、続いてもう一つ——「青蠅が数十匹、鼻の上に集まってくる。追い払っても去らぬ。これは何の兆しか」。 管輅の答えは、占いというより諫言であった。「鼻は易でいう艮、顔の中央にそびえる山です。高くありながら危うくならぬからこそ、長く貴を保てるのです。ところが今、青蠅という臭いものを好む虫が、その高いところに群がっている。……願わくは、上は文王の六爻を追い、下は孔子の彖象を思われ、しかるのちに三公に至り、青蠅を駆り払うこともできましょう」。位を保ちたければ行いを改めよ、と面と向かって言ったのである。 同席していた鄧颺が、鼻で笑って言った。「これは老生の常譚だ」——老書生の使い古した決まり文句ではないか、と。 管輅はこう返した。「老生とは、生きられぬ者を見ることであり、常譚とは、語られぬ者を見ることでございます」。あなたがたに死相が出ているから言っているのだ、という切り返しである。この応酬から、陳腐な決まり文句を指す「老生常譚」という言葉が生まれた。 帰宅した管輅に、伯父が「言い過ぎではないか」ととがめた。管輅は答えた——「鄧颺の歩きぶりは、筋が骨を束ねず、脈が肉を制さず、立てば傾いで手足がないかのようだ。これを鬼躁という。何晏のまなざしは魂が宿を離れ、血の色は失せ、気は煙のように浮いて、姿は枯木のようだ。これを鬼幽という。死人と語って、何を恐れることがありましょうか」。 翌正月、高平陵の変が起こり、何晏と鄧颺は曹爽とともに三族を誅された。 管輅の占いには、当てものの類も多く伝わる。ある者が器のなかに燕の卵・蜂の巣・蜘蛛を隠して当てさせたときは、三つとも謎かけの詩の形で言い当てた。「気を含みて変を待ち、屋根の下に身を寄せる」——燕の卵である。だが、最も印象深いのは占いですらない話かもしれない。足の萎える病を患う兄弟三人を占ったとき、管輅は「あなたの家の墓に、恨みを抱いた女性の霊がいる。飢饉のとき、わずか数升の米を惜しんで井戸に突き落とされ、大石を投げ込まれて頭を砕かれた伯母か叔母だ」と告げた。言われた者は泣いて、罪を認めたという。 そして管輅は、自分自身にも同じ目を向けていた。「私は額に主骨がなく、目に守精がなく、鼻に梁柱がなく、脚に天根がなく、背に三甲がなく、腹に三壬がない。いずれも短命の相だ。四十七、八を過ぎることはあるまい」。はたして四十八で世を去った。 なお、『三国志演義』が描く、若者・趙顔が南斗・北斗の二仙に酒と鹿肉を供えて寿命を十九から九十九に書き換えてもらう話は、干宝の『捜神記』に載る説話であり、正史の管輅伝にはない。

評価

管輅は、後漢末から魏にかけて実在した占術家であり、その名は、数多くの的中の逸話とともに、占いの名人の代名詞として後世に伝えられた。 正史に伝が立つ実在の人物でありながら、その事績はしばしば神秘の色を帯びて語られ、易占や相術の伝統のなかで、しばしば理想的な占い師の姿として引かれてきた。

演義

小説『三国志演義』では、神算鬼謀の占い師として登場し、曹操や周囲の人々の吉凶を言い当てる。失せ物を占い、人の死期や禍福を予見して、そのことごとくが的中する。 超人的な占術の使い手として、物語に神秘的な彩りを添える人物となっている。
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