ようひょう

楊彪

字文先 生没年142年 – 225年 所属後漢

四世三公の名門に生まれ、乱世に献帝を守った重鎮

能力値
統率 F
武力 F
知力 C
計略 E
政治 C
人望 B
関連年表
142年 名門・弘農楊氏に生まれる
— 侍中として黄門令・王甫の横領を摘発する
190年 司徒として董卓の遷都に反対し免官される
195年頃 李傕・郭汜の乱のなか東帰する献帝を守る
197年 袁術との姻戚を口実に投獄され、孔融の弁護で赦される
219年 子の楊修が曹操に殺される
225年 魏の太尉を辞し、節を保ったまま没する

略歴

楊彪、字を文先といい、弘農郡華陰県の人である。142年に生まれた。高祖父の楊震から楊秉・楊賜と四代にわたって三公を出した弘農楊氏の嫡流で、楊彪自身も後漢の太尉に至った。子は、才気で知られた楊修である。 若くして学問をもって知られ、侍中となったとき、黄門令・王甫が郡国の貢献物から巨額を横領していることを突き止め、司隷校尉・陽球に告げてこれを誅させた。のち京兆尹・衛尉などを経て、司空から司徒へと進んだ。 董卓が長安への遷都を強行しようとしたときは、司徒として正面から反対し、官を免ぜられた。のち復して太尉となる。董卓が死に、李傕・郭汜が長安で相争って公卿が人質に取られるなかでも、楊彪は身をもって献帝に付き従い、東へ帰る苦難の道のりを守りぬいた。 197年、曹操は、楊彪が袁術と姻戚であることを口実に、廃立を図ったとして楊彪を獄に下した。孔融の弁護によって救われたが、以後は病と称して官を退き、曹操の権勢の下でも決して媚びることはなかった。219年、子の楊修が曹操に殺される。魏の世となると、文帝は楊彪を太尉に迎えようとしたが、楊彪はこれを辞して受けず、光禄大夫として優遇された。225年、名門の誇りと節を保ったまま、八十四歳で世を去った。

逸話

董卓は「石苞室の讖に、宜しく長安に都すべしとある」と称して遷都を言い出した。楊彪は正面から反対した——「都を移し制を改めるのは天下の大事です。関中は荒れ果て、人を容れる余地もありません。王莽が長安の宮室を焼いて以来、民は離散したままです」。董卓は色を変えて言った——「公は国家の計を阻むつもりか」。太尉・黄琬が楊彪の言はもっともだと援護すると、董卓は二人をともに免官した。 李傕と郭汜が長安で殺し合い、郭汜が公卿を人質に取ったとき、楊彪は郭汜に向かって言った——「将軍は人の世の道理をわきまえた方であろう。それが君臣で分かれて争い、一人は天子を奪い、一人は公卿を質に取る。これが行ってよいことか」。郭汜は怒り、みずから刃にかけようとした。楊彪は退かなかった——「卿すら国家を奉じないのに、この楊彪が、どうして一瞬でも自分の命を惜しむ気になろうか」。左右が止めて、ことはおさまった。 197年、袁術が帝を称すると、曹操は、楊彪が袁術と姻戚であることを捉えて、廃立を謀ったと誣いて獄に下した。これを聞いた孔融は朝服を着るのも待たずに曹操のもとへ駆けつけ、こう論じた——「楊公は四世にわたる清徳の家、海内の仰ぐところです。『周書』にも、父子兄弟、罪は相及ばずとある。まして袁氏の罪を楊氏に求めるとは何事か。いわれなく無辜を殺せば、天下の見聞きする者が、誰も心を離さぬはずがありません」。曹操が「これは国家の意向だ」と逃げると、孔融は切り返した——「かりに成王が召公を殺したとして、周公が知らなかったと言えましょうか」。そして言い放った——「孔融は魯国の一男子である。明日からは衣をつまみあげて去り、二度と朝廷には出仕せぬ」。楊彪は釈放された。 楊修が殺されたのち、曹操が「公は近ごろ、なぜそうも痩せられたのか」と問うた。楊彪は答えた——「金日磾のような先見の明がなかったことを愧じております。それでいて、老いた牛が子牛を舐めるような情を、いまだ懐いているのです」。金日磾は、宮中で非行を犯した我が子をみずからの手で断った漢の功臣である。子を殺された父が、権力者の前で、自分で処断できなかった不明を詫びる形をとりながら、親の情だけは手放さぬと言い切ったのである。 文帝が太尉に迎えようとしたときの辞退の言葉も残っている——「わたしは漢朝の三公に名を列ねながら、世の衰乱に遭って、わずかの益も立てられませんでした。いまは年老い、病を得ております。陛下がまさに徳政を興されるこのとき、老い衰えた者をもって清らかな人選を汚すべきではありません」。文帝は強いず、位を三公の次に置き、几と杖を賜って賓客の礼で遇した。

評価

楊彪は、四世三公の名門を体現する後漢末の重鎮であり、乱世にあってなお皇室への忠を貫いた。董卓・曹操といった時の権力に対しても、へつらうことなく節を守り通した。 子を失った悲しみを「舐犢の愛」と表したその言葉は、権力者・曹操を前にしてなお失われぬ、一人の父の情として、深く胸を打つ。名門の矜持を最後まで手放さなかった、後漢の生き証人であった。

演義

小説『三国志演義』では、後漢の忠臣・名門の重鎮として登場する。董卓の遷都に反対し、乱世に献帝を支える。 曹操の専横のもとでも節を曲げず、名門・弘農楊氏の面目を保つ人物として描かれている。
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