おうき

王基

伯輿 生没年? – 261年 所属

文武と剛直を兼ね備えた、魏後期の名臣

能力値
統率 C
武力 D
知力 C
計略 C
政治 C
人望 C
関連年表
後漢末 東莱郡曲城県に生まれ、幼くして父を失う
叔父の王翁に養われ、実の父のように敬い仕える
十七歳で郡吏となるが意に沿わず、辞して学問に打ち込む
孝廉に挙げられ、青州刺史・王淩に別駕として招かれる
240年代 曹爽の執政期に『時要論』を著し、時勢の要諦を論じる
250年代 荊州刺史などを歴任し、対呉の南辺を支える
255年 毌丘倹の乱で「兵は拙速を聞く」と説き、南頓を先に占拠する
257年 諸葛誕の乱で鎮南将軍として寿春を包囲する
257年 囲みを解けという指示に従わず、包囲の維持を上疏して通す
258年 寿春が陥落し、淮南三叛の最後が平定される
261年 呉将の降伏が偽りと見抜き、司馬昭に「君の言は正しかった」と書き送られる
261年4月 没し、司空を贈られて景侯と諡される

略歴

王基、字を伯輿といい、青州東莱郡曲城県の人である。 幼くして父を失い、叔父の王翁に引き取られて育った。王基はこの叔父を実の父のように敬い仕えたという。十七歳のとき郡の吏となったが、その職が意に沿わず、みずから辞して学問に打ち込んだ。のち孝廉に挙げられて郎中となり、青州刺史の王淩に見込まれて別駕に招かれている。 曹爽が政を執っていたころには『時要論』を著し、時勢の要諦を論じた。安平太守、荊州刺史などを歴任して治績をあげ、対呉戦の南辺を支える将として重んじられる。 正元二年(255年)、毌丘倹・文欽が寿春で挙兵すると、王基は行監軍として出征した。ここで彼は孫子を引いて速攻を説く——「兵は拙速を聞くも、巧の久しきを睹ず」。慎重論を退けて南頓を占拠し、乱軍の拠るべき地を先に奪った。 そして甘露二年(257年)、諸葛誕の乱である。王基は鎮南将軍として寿春を包囲した。ところが司馬昭から、いったん囲みを解いて兵を移せという指示が下る。呉の援軍を誘い出す狙いであった。 王基はこれに従わなかった。上疏して説く——かつて諸葛恪は東関の勝ちに乗じて新城を攻め、力を使い果たして大敗した。いま包囲を固めておけば、労せずして勝てる。そして「将、軍に在りては君命も受けざる所あり」と述べた。司馬昭はこの意見を容れる。はたして翌年二月、寿春は陥落した。 景元二年(261年)、襄陽の太守から、呉の将・鄧由が降伏を申し出ているとの報告が入った。司馬昭は好機と見て軍を進めさせようとしたが、王基はこれを疑い、動くべきではないと諫めた。果たして降伏は偽りであった。司馬昭は「およそ人の事は、あらかじめ見通すのが難しい。君の言は正しかった」と、みずから筆を執って書き送っている。 同じ年の四月に没した。司空を贈られ、景侯と諡された。

逸話

王基の名を最もよく伝えるのは、命令に従わなかった一件である。 甘露二年(257年)、諸葛誕が寿春に拠って叛いたとき、王基は鎮南将軍として城を包囲していた。そこへ司馬昭から指示が届く。包囲を解いて兵を移せ、と。城外に展開する呉の援軍を誘い出し、野戦で叩こうという策であった。 王基は動かなかった。そのうえで上疏する。かつて呉の諸葛恪は、東関の勝利に驕って新城を攻め、兵力を消耗しきって大敗した。攻める側が焦れば、必ず同じ轍を踏む。いま包囲を堅く保てば、こちらは労せずして勝てるのです——そう説いたうえで、こう書き添えた。「将、軍に在りては、君命も受けざる所あり」。 司馬昭はこれを容れた。包囲は維持され、翌年二月に寿春は落ちた。当時すでに司馬昭は魏の実権を掌握し、逆らう者を次々に除いていた時期である。その相手に、包囲の現場から正面から異を唱えて通したのだから、剛直というほかない。 その眼力を示す話が、もう一つある。景元二年(261年)、襄陽の太守から、呉の将・鄧由が降伏を願い出ているという報告が上がった。司馬昭は好機と見て軍を動かそうとしたが、王基は疑わしいとして止めた。結果は王基の見立てどおり、偽りの降伏であった。司馬昭はのちに「およそ人の事というものは、あらかじめ見通すのが難しい。君の言は正しかった」と、みずから書を送っている。 もう一つ、占いの名人・管輅との縁も伝わる。王基が安平太守であったころ、屋敷で不可解なことが続いたので、管輅に占わせた。管輅は筮竹を立てるとこう言い当てたという——身分の低い女が産んだ男児が、地に落ちるやいなや竈へ走り込んで死ぬ。寝台の上に大蛇がいて筆をくわえ、家中の者が見ているうちに消える。烏が部屋へ入り込んで燕と闘い、燕が死んで烏が去る。この三つの怪があったはずです、と。 王基は「精義の至り、ここまで及ぶのか」と驚嘆した。だが管輅の見立ての妙は、その先にあった。これらはいずれも凶兆ではなく、すでに過ぎ去った出来事の影にすぎない、家に災いはありません——そう解いて、王基を安んじたのである。 十七歳で意に沿わぬ官を辞して学問に向かい、叔父を実父のように敬い、権臣の命にも逆らって持論を通した。学識と実務と剛直が、この人のなかでは矛盾なく同居していた。

評価

王基は、学識と軍略、そして剛直な人格を兼ね備えた、魏後期の得がたい人材であった。諸葛誕の乱の平定に見られる、堅実にして揺るがぬ用兵は、その真骨頂を示している。 権臣が跋扈し、忠臣が次々に斃れていく時代にあって、剛直を貫きながらもよく身を全うし、国家のために働き続けたその姿は、乱世の臣の一つの見識を示すものであった。

演義

小説『三国志演義』では、諸葛誕の乱を平定する司馬昭方の将の一人として登場する。寿春の包囲において、堅実な用兵で乱の鎮圧に貢献する。 正史ほど大きくは描かれないが、魏後期を支える実務の名将の一人として位置づけられている。
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