でんかい

田楷

生没年? – 199年 所属後漢

青州を袁紹と争った、公孫瓚の部将

能力値
統率 D
武力 D
知力 E
計略 E
政治 E
人望 E
関連年表
191年 公孫瓚に青州刺史に任じられる
— 公孫瓚の命で劉備が麾下に付けられる
— 斉の地に拠り、袁紹の軍と二年にわたって戦う
193年 劉備とともに曹操に攻められた陶謙を救う
— 袁紹の子袁譚に敗れ、青州を追われる
199年 易京の陥落にあたって戦死する

略歴

田楷は、幽州に拠った公孫瓚の部将である。191年、公孫瓚が袁紹と争いはじめると、冀州刺史の厳綱、兗州刺史の単経とともに、公孫瓚が独自に任じた青州刺史となった。 公孫瓚が袁紹の軍を破って平原まで南下すると、田楷は斉の地に拠った。劉備は公孫瓚の命で田楷のもとに付けられ、ともに袁紹と戦っている。193年、曹操に攻められた徐州の陶謙が救いを求めてくると、田楷は劉備とともに救援に向かった。 袁紹が子の袁譚を青州刺史として送り込むと、田楷はこれと戦って敗れ、青州を追われた。199年、袁紹が易京を落として公孫瓚が自害したとき、田楷も戦死した。

逸話

袁紹と公孫瓚の争いは、一つの州に二人の刺史が立つ形をとった。公孫瓚は袁紹の勢力圏に、冀州・青州・兗州それぞれの刺史を任じたうえ、その下の郡県の長官まで置いた。田楷が送り込まれた青州も、袁紹の側から見れば、袁紹が任じた刺史の治める州であった。 斉の地で田楷と袁紹の軍は二年にわたって戦い続けた。『後漢書』はそのありさまを、兵糧はともに尽き、士卒は疲れ果て、双方が互いに百姓から奪い、野には青草もなかった、と記している。 193年に陶謙の救援に向かったとき、田楷は劉備をともなっていた。劉備は陶謙に引きとめられて田楷のもとへは戻らず、やがて徐州を託される。田楷が援軍として連れていった将が、そのまま徐州の主への道を歩みはじめたことになる。劉備の主騎として随っていた趙雲も、このとき田楷の陣営から離れている。 青州を追われたのちの田楷については、ほとんど記録がない。『後漢書』は、易京が落ちて公孫瓚が死んだくだりで、田楷が戦死したことを短く記すだけである。そのすぐあとに、同じ場で死んだ関靖の言葉が書きとめられている。

評価

田楷は、公孫瓚の有力な部将として青州を預かり、袁紹との河北の覇権争いの一角を担った武将である。劉備が身を寄せた相手としても、その名が伝わる。 主・公孫瓚の盛衰とともにあったその生涯は、河北の覇を袁紹と競った公孫瓚陣営の、興亡の一端を映している。

演義

小説『三国志演義』では、公孫瓚配下の将として登場する。青州で袁紹と戦い、一時は劉備もその陣営に加わる。 公孫瓚の勢力の一翼として、河北の争覇の場面にその名が現れる。
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