じゅんきょく

荀勗

字公曽 生没年? – 289年 所属晋

音律を正し、鑑識に長けた晋の博識の重臣

能力値
統率 F
武力 F
知力 B
計略 D
政治 C
人望 E
関連年表
— 潁川潁陰に生まれる。後漢の司空・荀爽の曾孫
— 早くに父を失い、母方の親族に養われる
— 十余歳で文章を書き、長じて博学となり政務に通じる
260年代 司馬昭に仕え、晋が建つと中書監・秘書監を歴任する
— 中書令・張華とともに国家の蔵書を整理し、目録を編む
272年頃 賈充に策を授け、その娘を皇太子妃に推して都に留める
— 後漢から魏の尺が古代より四分余り長いことを突き止め、古尺を定める
— 律呂を調えて雅楽を正し、その聴き分けは「闇解」と評される
— 音律を内心で疑った阮咸を忌み、始平太守として遠ざける
— 農夫が掘り出した周の玉尺により、自らの音律が一黍短いと判明する
282年 司馬攸を封国へ帰す策を武帝に献じる
289年 没する。諡は成

略歴

荀勗、字を公曽という。潁川郡潁陰県の人で、後漢の司空・荀爽の曾孫にあたる。潁川荀氏は、荀淑の八子が「八龍」と称された名門である。 早くに父を失い、母方の親族に養われて育った。十余歳で文章を書くことができ、長じて博学となり、政務にも通じた。 司馬昭・司馬炎の二代に仕えて重んじられ、晋が建つと中書監・秘書監などを歴任して政治の中枢に関わった。中書令の張華とともに、劉向の『別録』に倣って国家の蔵書を整理し、目録を編む仕事も担っている。 その学識がもっとも大きな成果を残したのは、度量衡と音律の分野であった。荀勗は、太楽の音がどうしても調わないことを調べ、後漢から魏にかけて尺が古代のものより四分あまり長くなっていたことを突き止めた。そこで著作郎の劉恭に『周礼』に拠って尺を作らせる。これが後世「荀勗の古尺」と呼ばれる基準となった。律呂(音階の基準)を調え直して雅楽を正した功も、あわせて大きい。 一方で、荀勗には権謀に長けた一面があった。都から遠ざけられそうになった重臣に策を授けて留まらせ、人望の高かった皇弟を封国へ退ける手を武帝に献じ、呉平定の功で声望を高めた同僚を地方へ出すよう画策したとも伝わる。 太康十年(289年)に没した。諡は成。

逸話

荀勗の耳をめぐる逸話が、『世説新語』に残っている。 荀勗は音律を聴き分けることに長け、当時の評は「闇解」と言った。理屈ではなく、直感で音を解する人という意味である。律呂を調え直して雅楽を正し、元旦の朝会で殿庭に楽を奏させるたび、自ら宮商を整えて、調わぬところがなかった。 ところが、これを内心で否定していた人物がいた。阮咸——竹林の七賢の一人で、阮籍の兄の子である。阮咸の聴き分けは「神解」と称されていた。公の会で楽が奏されるたび、阮咸は心のなかで「調っていない」と思っていた。ただし、荀勗に一言も直言はしなかった。 荀勗はそれを察した。そして忌んで、阮咸を始平太守として地方へ出した。音律について何も言わなかった男を、黙っていたことだけを理由に遠ざけたのである。 後日談がある。ある農夫が野を耕していて、周の時代の玉尺を掘り出した。それが天下の正尺であった。荀勗が試みに、自分が定めた鐘鼓・金石・絲竹をその尺で較べてみると、すべて一黍(きび一粒)分だけ短かった。 ここにおいて荀勗は、阮咸の耳に伏したという。 もっとも、この人が尺を疑ったこと自体は、たしかな学問の成果であった。荀勗は太楽の音がどうしても調わないことから、後漢から魏にかけて尺が古代より四分あまり長くなっていたことを突き止めている。地中から出た玉尺が示したのは、その考証がなお一黍足りなかったという差であって、方向そのものは正しかった。 一方、宮廷人としての荀勗は、別の顔を持っていた。 賈充が秦涼二州の都督として都から遠ざけられそうになり、大いに憂慮したとき、荀勗が授けた策がこうであった——公の娘を皇太子妃に立てれば、留まることができます。この策は通り、賈充の娘が太子妃となって、賈充は都に残った。 その娘が賈南風である。恵帝の皇后として専権し、八王の乱の火を点ける人物である。賈充を都に留めるための一手が、王朝の内乱の遠因になったことになる。 荀勗が動かした人物を並べると、その手並みが見えてくる。賈充は留め、人望の高かった斉王・司馬攸は封国へ帰す策を授けて追い、呉平定の功で声望を得た張華は地方へ出すよう画策し、そして音律を疑った阮咸は太守として遠ざけた。 張華については、因縁が一つある。荀勗は秘書監として、中書令の張華とともに劉向の『別録』に倣い、国家の蔵書を整理して目録を編んでいる。書物を数え分類する仕事を共にした相手を、のちに政争で退けたことになる。 博学と権謀が同じ人のなかに矛盾なく収まっていた——荀勗という人物の評価が定まりにくいのは、そのためである。

評価

荀勗は、名門・荀氏の学統を継ぐ博識の重臣であり、とりわけ音律・度量衡の考定に大きな足跡を残した。新王朝・晋の制度と文化を整えた功績は、高く評価される。 その一方で、有能な同僚を退けようとする権謀の一面もあり、才と徳が必ずしも一致しなかった。博学の能吏という光と、宮廷人としての影とを、あわせ持った人物である。とりわけ賈充を都に留めるために授けた策は、その娘を皇太子妃に押し上げ、やがて八王の乱の遠因となった。

演義

小説『三国志演義』では大きくは描かれないが、晋の重臣としてその名が伝わる。 音律を正し、制度を整えた博識の臣としての実像は、三国の争乱ののち、統一王朝を運営する官人たちの営みを物語っている。
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