さいぼう

蔡瑁

徳珪 生没年生没年不詳 所属後漢

荊州の水軍を握り、劉琮を降らせた劉表の外戚

能力値
統率 D
武力 E
知力 D
計略 D
政治 D
人望 E
関連年表
後漢末 荊州襄陽の名族・蔡氏に生まれる。若くして曹操と親交を持つ
190年 劉表の荊州赴任に際し、蒯越・蒯良とともに計を問われる
190年代 宗賊平定を助け、劉表の外戚(姉が蔡夫人)として重んじられる
190年代 江夏太守などを歴任し、荊州の水軍を統率する
208年 劉表の死後、蔡夫人・張允と結んで劉琮を後継に立てる
208年 蒯越・傅巽らとともに劉琮へ降伏を勧め、荊州が曹操に降る
208年 曹操に仕え、従事中郎・司馬・長水校尉を歴任する
208年以降 漢陽亭侯に封じられる

略歴

蔡瑁、字を徳珪といい、荊州襄陽の豪族・蔡氏の出である。蔡氏は代々この地に根を張った名族で、姉が劉表の後妻(蔡夫人)となった縁により、蔡瑁は外戚として重んじられた。 初平元年(190年)、劉表が単身で荊州へ赴任し、宗賊の割拠に手を焼いたとき、蔡瑁は蒯越・蒯良の兄弟とともに招かれて計を問われ、その平定に力を尽くした。以後は江夏太守・鎮南大将軍軍師などを歴任し、長江の水戦に通じて荊州の水軍を統率する立場にあった。 建安十三年(208年)に劉表が病没すると、蔡瑁は姉の蔡夫人、そして張允らと結んで、幼い劉琮を後継に立て、年長の劉琦を退けた。同年、曹操が大軍を率いて南下すると、蔡瑁は蒯越・傅巽らとともに劉琮に降伏を勧める。荊州は戦わずして曹操の手に落ちた。 降ったのち、蔡瑁は曹操に仕えて従事中郎・司馬・長水校尉を歴任し、漢陽亭侯に封じられた。曹操とは若いころからの旧知であり、荊州を得た曹操はわざわざその邸を訪ね、親しく交わったと伝わる。 なお、蔡瑁の妹は名士の黄承彦に嫁いでおり、その娘が諸葛亮の妻となった。荊州の名族どうしの婚姻の網は、劉表・蔡氏・黄氏・諸葛氏を結び、この地の政治を静かに動かしていたのである。

逸話

蔡瑁と曹操は、若いころからの旧知であった。荊州を手に入れた曹操は、わざわざ蔡瑁の邸を訪ねると、「徳珪、久しいな」と字で親しく呼びかけ、奥へ通って蔡瑁の妻子まで呼び出させて対面したという。降将に対する礼を越えた振る舞いで、二人の間柄の深さがうかがえる(『襄陽耆旧記』)。荊州が戦わずして曹操の手に落ちた背景には、こうした個人的なつながりもあった。 荊州の政治を動かしていたのは、名族どうしの婚姻の網であった。蔡瑁の姉は劉表の後妻となり、その甥にあたる劉琮を後継に押し立てた。もう一人の妹は名士・黄承彦に嫁ぎ、その娘が——のちに劉備が三顧の礼をもって迎える諸葛亮の妻となる。つまり蔡瑁は、諸葛亮にとって妻の伯父にあたる。荊州で劉表・蔡氏・黄氏・諸葛氏は、みな縁つづきであった。 いっぽう『三国志演義』が描く蔡瑁の最期は、まったくの創作である。赤壁を前に曹操の水軍を預かった蔡瑁は、呉の周瑜が蔣幹を使って仕組んだ偽りの密書(反間の計)にかかり、内通を疑った曹操に張允ともども斬られる——曹操が斬った直後に計略と悟って臍を噛む、物語屈指の名場面だが、正史の蔡瑁は曹操に仕えて長水校尉となり、漢陽亭侯に封じられている。

評価

蔡瑁は、荊州の名族にして水軍の将であり、劉表政権の一方の実力者であった。後継争いに介入し、曹操への降伏を主導したその動きは、荊州の帰趨を大きく左右した。 一族の利をはかる立ち回りに長けた反面、忠節の人としては語られず、荊州の権力の内実を体現する人物として位置づけられる。

演義

小説『三国志演義』では、荊州の水軍を預かる将として登場し、劉琮を立てて曹操に降る役回りを担う。 赤壁を前に、曹操の水軍を任されるが、呉の周瑜が仕組んだ反間の計(蔣幹を用いた偽りの密書)にかかり、内通を疑った曹操に張允ともども斬られてしまう。史実にはない脚色だが、赤壁の名場面の一つとして名高い。
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