しょかつしょう

諸葛尚

生没年? – 263年 所属

祖父・諸葛亮の血を継ぎ、父とともに綿竹に散った少年

能力値
統率 E
武力 D
知力 E
計略 E
政治 E
人望 D
関連年表
蜀末 諸葛瞻の長子、諸葛亮の孫として生まれる(生年は伝わらない)
263年 鄧艾が陰平の険を越えて江油に現れ、成都へ迫る
263年 父・諸葛瞻に従って出陣するが、軍は涪で止まる
263年 黄崇の再三の進言が容れられず、鄧艾に平地へ出られる
263年 綿竹で決戦。諸葛瞻が鄧艾の降伏勧告を拒み、使者を斬る
263年 父・諸葛瞻が奮戦のすえ討ち死にする(三十七歳)
263年 「早くに黄皓を斬れなかった」と嘆じ、敵陣へ馳せて死ぬ
263年 綿竹の敗戦により、まもなく劉禅が降伏して蜀漢が滅びる
泰始年間 弟・諸葛京は生き延び、晋に仕えてのち江州刺史に至る

略歴

諸葛尚は、蜀の行都護衛将軍・諸葛瞻の長子であり、丞相・諸葛亮の孫にあたる。 正史『三国志』が諸葛尚について記すのは、諸葛瞻の伝に添えられた「瞻の長子の尚、瞻と俱に没す」という一行のみである。生年も、享年も伝わらない。その最期の言葉を残したのは、蜀の地誌『華陽国志』であった。 景耀六年(263年)、鄧艾が陰平の険しい山道を踏破して江油に現れ、成都へ迫った。迎撃に向かったのが、諸葛瞻の率いる軍である。諸葛尚も父に従って陣に加わった。 だが進軍は涪で止まった。尚書郎の黄崇——夷陵で魏に降った黄権の子である——は、速やかに前進して険要を押さえ、敵を平地へ出してはならぬと、涙を流して幾度も説いた。諸葛瞻は動かなかった。その逡巡のうちに鄧艾は長駆して平地へ出る。蜀軍は綿竹まで退いて、そこで決戦を迎えることになった。 鄧艾は使者を送り、降れば琅邪王に封じようと持ちかけた。諸葛瞻はその使者を斬って答えとし、戦端を開く。だが精鋭の魏軍を支えきれず、奮戦のすえに討ち死にした。三十七歳であった。 父の死を見た諸葛尚は、こう嘆じたという——「父子ともに国の重い恩を受けながら、早くに黄皓を斬ることができず、ついに国をこの傾敗に至らしめた。生きていて何になろう」。そしてみずから馬を駆り、魏軍のただなかへ突き入って討ち死にした。 綿竹は、蜀漢が最後に戦った野戦であった。ここで主力を失った成都には、もはや防ぐ力が残らない。ほどなく劉禅は降伏し、四十三年続いた蜀漢は滅びる。

逸話

諸葛尚が最期に発した言葉は、自分たち父子への断罪であった——「父子ともに国の重い恩を受けながら、早くに黄皓を斬ることができず、ついに国をこの傾敗に至らしめた。生きていて何になろう」。 黄皓は、後主・劉禅に寵愛されて政を壟断した宦官である。諸葛瞻はこれを憎みながら、ついに除くことができなかった。祖父・諸葛亮が『出師表』で「小人を遠ざけよ」と説いたその戒めを、孫の代の朝廷は守れなかったことになる。敗軍のただなかで少年が悔いたのは、鄧艾に敗れたことではなく、そこに至るまでに為すべきことを為さなかった歳月であった。 父・諸葛瞻の出陣そのものにも、拭えぬ悔いが残る。涪まで進んだところで軍は止まり、黄権の子である黄崇が、速やかに険要を押さえて敵を平地へ出すなと涙ながらに繰り返し説いたのに、諸葛瞻は動かなかった。その間に鄧艾は山を下りきってしまう。祖父が生涯をかけて守った国の命運が、この逡巡で決した。 もっとも、父子が選んだのは降伏ではなかった。鄧艾は「降れば琅邪王に封じよう」と使者を送ってきたが、諸葛瞻はその使者を斬って答えとしている。琅邪は、諸葛氏がもともと出た土地である。ゆかりの地の王位を示されて、なお拒んだ。 諸葛の一族は、三国それぞれに分かれて仕えた稀有な家であった。諸葛亮は蜀の丞相となり、兄の諸葛瑾は呉の大将軍に至り、従弟の諸葛誕は魏の征東大将軍となった。当時の人はこれを「蜀は龍を得、呉は虎を得、魏は狗を得た」と評したという。だがその三人の血筋は、いずれも非業の最期をたどる。諸葛恪は呉で誅され、諸葛誕は寿春で滅び、そして諸葛瞻と諸葛尚は綿竹に散った。 ただ一人、血は絶えなかった。諸葛尚の弟・諸葛京は綿竹の戦場になく、蜀の滅亡を生き延びている。晋の武帝・司馬炎は泰始年間に詔を下し、「諸葛亮は狭い土地にありながら兵を動かしすぎたが、その才は賞すべきである」として諸葛京を郿県の令に任じた。のち江州刺史にまで進んでいる。 兄は祖父の国に殉じて名を残し、弟はその国を滅ぼした王朝に仕えて家を残した。諸葛の家の最後は、そのように分かれた。

評価

諸葛尚は、名宰相・諸葛亮の孫として、その若い命を綿竹の戦場に散らした。父・諸葛瞻とともに、降伏や逃亡を潔しとせず、敵陣に突入して果てたその姿は、諸葛の家に流れる忠義の血を、最後の一滴まで示すものであった。 祖父・諸葛亮、父・諸葛瞻、そして諸葛尚。三代にわたって蜀漢に殉じた諸葛家の物語は、その落日を、いっそう哀切なものにしている。

演義

小説『三国志演義』では、綿竹の戦いで父・諸葛瞻とともに鄧艾軍に立ち向かう若武者として描かれる。 父が戦死すると、生き恥をさらすことを拒み、敵陣に駆け入って討ち死にする。諸葛家三代の忠義を締めくくる、悲壮な場面として綴られている。
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