げんせき

阮籍

字嗣宗 生没年210年 – 263年 所属魏

酔狂に身を託して乱世を渡った、青眼白眼の詩人

能力値
統率 F
武力 F
知力 C
計略 E
政治 F
人望 D
関連年表
210年 陳留郡尉氏県に生まれる。父は建安七子の阮瑀
— 荘子・老子を好み、酒を嗜み、嘯と琴を善くする
— 竹林の七賢の一人として清談に遊ぶ
— 厨に数百斛の酒があると聞き、歩兵校尉を志願する
— 礼俗の士には白眼、心を許す相手には青眼を向ける
— 母の死に際し囲碁を終えさせ、酒を飲んで血を吐く
— 裴楷が弔問し「阮籍は方外の士、われは俗中の士」と評す
— 蘇門山で孫登の嘯を聞き、『大人先生伝』を著す
— 『詠懐詩』八十二首を残す
— 司馬昭の求婚を六十日の酔いでかわす
263年 酔ったまま司馬昭への勧進文を一気に書き上げる
263年 没する(五十四歳)

略歴

阮籍、字を嗣宗という。建安十五年(210年)の生まれ。陳留郡尉氏県の人で、父は建安七子に数えられた文人・阮瑀である。 容貌は堂々として志気は宏放、傲然として独り立ち、性に任せて束縛を嫌った。そして喜怒を顔色に出さなかった。あるときは戸を閉じて数か月も書を読み続け、あるときは山水に登って日を経ても帰るのを忘れた。群籍を博く読み、とりわけ荘子・老子を好んだ。酒を嗜み、嘯(口笛)を能くし、琴を善くした。得意の境地に入ると、たちまち自分の身体を忘れたという。 竹林の七賢の一人として清談に遊んだが、司馬氏が権勢をほしいままにする険しい世にあって、うかつな言動が身を滅ぼすことを阮籍はよく知っていた。しばしば大酒を食らって酔狂を装い、決して人の是非を口にしなかった。気に入らぬ俗物には白目を、心を許す相手には青い目を向けたという「青眼・白眼」の逸話も、そうした処し方の一面である。 母の喪に際して礼法を無視した振る舞いを見せるなど、形式ばった礼教を軽んじる奔放さでも知られた。 司馬昭が、その子(のちの武帝・司馬炎)の妻に阮籍の娘を迎えたいと望んだときには、六十日ものあいだ酔いつぶれ続けて、ついに縁談を切り出す隙を与えなかったと伝わる。 詩人としては『詠懐詩』八十二首を残した。政治への憂いを直接には書けぬ時代に、隠喩と寓意を重ねて詠まれた一群であり、後世の五言詩に大きな影響を与えた。 景元四年(263年)に没した。五十四歳であった。

逸話

阮籍が官職を志願した理由は、史書にはっきり書かれている。酒である。 歩兵校尉の職が空いていると聞き、その役所の厨房に数百斛の酒が貯えてあることを知って、阮籍はその職を願い出た。そして実際に就任した。以後「阮歩兵」と呼ばれることになる。官位を酒蔵の所在で選んだ人物が、後世に名を残す詩人であった。 その酒と並んで、この人の振る舞いを象徴するのが母の死の場面である。 母が亡くなったとき、阮籍はちょうど人と囲碁を打っていた。相手が中止しようとすると、阮籍はこれを引き留めて勝負をつけさせた。そして酒を二斗飲み、ひと声叫び、血を数升吐いた。葬儀の日には、蒸した豚を一匹食べ、酒を二斗飲んだうえで訣別に臨み、ただ「窮まった」と言って、またひと声号して血を数升吐いたという。 礼法のすべてを破りながら、吐いた血の量だけが本当のことを語っている。『晋書』はこの人を「性は至孝であった」と書き出したうえで、この場面を記している。 弔問に来た裴楷の対応も、この時代らしい。阮籍は髪を乱して床に坐り、酔って黙って見ているだけであった。裴楷はひとり弔いを済ませて帰った。「主人が哭さないのに、あなたはなぜ哭いたのか」と問われた裴楷は、こう答えている——「阮籍は方外の士だから礼典を崇ばない。わたしは俗中の士だから軌儀をもって身を処する」。当時の人は「両方とも得ている」と評した。 「青眼・白眼」の具体例も伝わっている。母の喪に嵆康の兄・嵆喜が弔問に訪れたとき、阮籍は白眼で対し、嵆喜は不快を抱いて帰った。ところがその弟の嵆康が酒と琴を携えてやって来ると、阮籍は喜んで青眼で迎えたという。 蘇門山での一幕も美しい。阮籍は隠者の孫登を訪ね、太古のことや気を導く術について論じようとしたが、孫登はまったく応じなかった。阮籍は長く嘯を吹いて山を下る。嶺の半ばまで来たとき、鸞鳳の声のような音が巌谷に響いた。孫登の嘯であった。言葉では何も答えなかった隠者が、去っていく背に口笛で応えたのである。阮籍は帰って『大人先生伝』を著した。 だが、この人の生涯には一つ、酔いでは逃げきれなかった仕事がある。 司馬昭が九錫を辞したとき、公卿はこれを勧進する文を奉ることにし、その文章を阮籍に作らせることにした。阮籍は深く酔って、書くのを忘れていた。府へ出向く間際に使者が取りに来たときも、まだ酔って寝ていた。起こされた阮籍は、そのまま机に向かって書き、使者に写させた。一字も訂正しなかった。その辞は「甚だ清壮」で、当時に重んじられたと『晋書』は記す。 簒奪を勧める文を、酔ったまま一気に書き上げて名文にしてしまったのである。阮籍はその年のうちに死んだ。五十四歳。 嵆康は拒んで殺され、阮籍は書いて生き延びた——そして同じ年に、それぞれの形で終わった。

評価

阮籍は、才を抱きながら、それを世に問うことの危うい時代に生まれ、酔狂と韜晦をもって身を全うした、屈折した知識人である。その奔放な振る舞いの奥には、乱世に対する深い憂いと、権力への静かな抵抗があった。 礼教に縛られぬ精神と、乱世を泳ぎ切る処世とを併せ持ったその姿は、竹林の名士の一典型となった。ただし最晩年には、司馬氏の簒奪を正当化する文を自ら筆を執って書いている。酔狂に身を隠し通せたわけではなかった。

演義

小説『三国志演義』では大きくは描かれないが、竹林の七賢の一人としてその名が伝わる。 酔狂に身を託し、青眼・白眼をもって人を分けたという逸話は、魏末の名士の風狂を象徴するものとして知られている。
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