いしょう

韋昭

字弘嗣 生没年204年 – 273年 所属呉

『呉書』を編み、暴君に節を屈しなかった呉の史家

能力値
統率 F
武力 F
知力 B
計略 E
政治 D
人望 D
関連年表
204年 呉郡雲陽県に生まれる
— 丞相掾・西安令・尚書郎を経て太子中庶子となる
— 太子・孫和の命を受け『博弈論』を著す(のち『文選』に収録)
孫休期 中書郎・博士祭酒となる
孫休期 薛瑩・華覈らと『呉書』の編纂を命じられる
孫晧期 侍中・左国史として国史編纂の中心に座る
孫晧期 孫和に「紀」を立てよという命を「伝とすべし」と拒み続ける
孫晧期 一律七升の酒宴で、茶を賜って酒に代えることを許される
孫晧期 同僚を難詰させる宴席の作法に従わず、不興を買う
273年 華覈の助命嘆願も容れられず誅される(七十歳)。子は零陵へ流される
— 『呉書』は陳寿『三国志』呉書の主要な典拠となる

略歴

韋昭、字を弘嗣といい、呉郡雲陽県の人である。建安九年(204年)の生まれ。晋の世に『三国志』が編まれたため、司馬昭の諱を避けて「韋曜」と記されている。 少年のころから学問を好み、文章に長じた。丞相掾から西安令、尚書郎を経て、太子中庶子となる。仕えた太子・孫和は、囲碁や賭け事は事を妨げ日を費やすばかりで用に益がないと考え、侍坐する八人にそれぞれ戒めの論を著すよう命じた。これに応えて韋昭が書き上げたのが『博弈論』である。人の一生は短く、その時間は学問と実務に充てるべきだと説いたこの文章は、のちに『文選』に収められ、今日まで伝わっている。 孫休の代には中書郎・博士祭酒となった。そして彼の名を不朽にした事業が始まる。孫権の時代に丁孚・項峻が編んだ『呉書』は出来がよくなかったため、韋昭・周昭・薛瑩・梁広・華覈の五人に改めて編纂が命じられたのである。周昭と梁広は途中で世を去り、事業は韋昭らが引き継いだ。 孫晧が立つと、侍中・左国史として国史編纂の中心に座った。だが、この暴君との衝突は避けられなかった。 孫晧は、帝位に即かなかった父・孫和のために「紀」を立てるよう求めた。「紀」は帝王のための形式であり、「伝」は臣下のための形式である。韋昭は「孫和は帝位に登っておられません。『伝』とすべきです」として譲らなかった。これが一度ならず繰り返され、しだいに孫晧の怒りを買っていく。 酒宴での振る舞いも不興を重ねた。ついに韋昭は捕らえられて獄に下る。同僚の華覈は幾度も上疏し、韋昭を赦して『呉書』を完成させてほしいと願ったが、孫晧は聞き入れなかった。鳳皇二年(273年)、韋昭は誅された。七十歳。その子は零陵へ流された。 著作は『呉書』のほか、『漢書音義』『洞紀』『官職訓』『弁釈名』などに及ぶ。

逸話

「紀」か「伝」か——韋昭の命を縮めたのは、史書の形式をめぐる一字の争いであった。 孫晧は、父・孫和のために「紀」を立てよと命じた。「紀」は帝王の一代を記す形式であり、「伝」は臣下のためのものである。だが孫和は皇太子のまま廃され、帝位に即いたことがない。「紀」を立てれば、史書はその事実を書き換えることになる。韋昭は「孫和は帝位に登っておられません。『伝』とすべきです」と述べ、一度ならず繰り返し拒んだ。皇帝の実父の格を、国史の編纂責任者が正面から否定したことになる。 孫晧の宴席は、それ自体が拷問に近いものであった。饗宴は一日中続き、席に着いた者は飲める飲めないを問わず、一律に七升を課された。口に入りきらなくても容赦はなく、残りは全部体に注ぎかけられた。そして酔いが回ったところで、侍臣に公卿を難詰させ、私的な失態や恥を暴かせて、それを興として楽しんだのである。 韋昭はもともと二升より多くは飲めなかった。孫晧がまだ彼を礼遇していたころは、量を減らすことを認められ、さらにはひそかに茶を賜って、酒の代わりとすることを許されていた。 この一節は、単なる配慮の記録ではない。「茶をもって酒に代える」——中国語の「以茶代酒」という言い方は、この韋昭の故事を出典とする。そして茶が宴席で酒の代替として供された最も古い文献記録の一つとして、中国の茶文化史でも必ず引かれる場面になっている。暴君の酒宴を生き延びるための小さな抜け道が、千七百年後まで残る言葉になった。 だが韋昭は、宴席のもう一つの作法——同僚を難詰して恥をさらさせること——には従わなかった。外では互いを傷つけ、内では恨みを育て、群臣を不和にするだけだ、と考えたからである。礼遇はやがて憎悪に変わり、韋昭は獄に下された。 このとき同僚の華覈が動いた。幾度も上疏して、韋昭を赦し、『呉書』を完成させてほしいと願ったのである。孫晧は聞かなかった。鳳皇二年(273年)、韋昭は七十歳で誅され、その子は零陵へ流された。 しかし、韋昭が編んだ『呉書』は残った。のちに陳寿が『三国志』の呉書を著すとき、その最も重要な典拠となったのがこの書である。つまり今日われわれが孫晧の暴政について詳しく知ることができるのは、その孫晧に殺された史官が書き残した記録によるところが大きい。史筆を曲げなかった代償に命を失った人物が、結果として、自分を殺した皇帝の姿を後世へ伝えることになった。

評価

韋昭は、『呉書』の編纂という不朽の業績を残した史家であり、後世の三国史の理解は、その労に多くを負っている。史実を曲げることを拒み、暴君の圧力にも節を屈しなかったその姿勢は、史官のあるべき気骨を示している。 学問と節義を貫いて非命に斃れたその生涯は、暴政のもとで正しさを守ることの困難と尊さを、静かに物語っている。

演義

小説『三国志演義』では大きくは描かれないが、呉の学者・史家としてその名が伝わる。 暴君・孫晧に仕えながら史筆の正しさを守った実像は、物語の外で、三国の歴史を今に伝える礎として輝いている。
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