さいきん

崔鈞

字州平 生没年生没年不詳 所属後漢

諸葛亮と天下を論じた、隆中の友

能力値
統率 E
武力 F
知力 C
計略 E
政治 E
人望 D
関連年表
後漢末 冀州博陵の名門に生まれる。父は後漢の司徒・太尉の崔烈
— 父・崔烈が五百万銭を納めて司徒の位を買う
— 虎賁中郎将となる
— 父に「論者はその銅臭を嫌っている」と告げ、杖で打たれる
190年 西河太守として、袁紹らとともに山東で挙兵する
190年 息子の挙兵を理由に、父・崔烈が董卓に首鎖のまま投獄される
192年 父・崔烈が長安を攻めた李傕に殺される
— のち荊州へ流れ、隆中に隠棲する諸葛亮と交わる
— 諸葛亮が自らを管仲・楽毅になぞらえたとき、徐庶とともに信じる
— 荊州でのその後を記す史料はない

略歴

崔州平は、名を鈞、字を州平といい、冀州博陵の人である。父は後漢の司徒・太尉をつとめた崔烈。名門の出であった。 その父が、崔州平の人生に深い影を落としている。霊帝の代、朝廷は鴻都門に官爵の値段を掲げて売り出した。崔烈は乳母を通じて五百万銭を納め、司徒の位を手に入れたのである。任命の日、霊帝は側近を顧みて「もう少し値を渋るべきだった。一千万まで取れただろうに」と漏らしたという。崔烈の名声はこれで大きく損なわれた。 虎賁中郎将となっていた崔州平は、あるとき父から「わしが三公にいることを、世の論者はどう言っているか」と問われた。崔州平の答えが、のちに成語となる——「大人は若くして英名があり、卿や太守を歴任されました。論者も三公になるべきでないとは申しません。しかし今その位に登られたことで、天下は失望しております。……論者はその銅臭を嫌っているのです」。銭のにおいがする、と面前で言い放ったのである。崔烈は怒って杖を取り、息子を打った。 初平元年(190年)、崔州平は西河太守として、袁紹らとともに山東で兵を挙げた。反董卓の連合に加わったのである。董卓はこれを理由に父の崔烈を捕らえ、首に鎖をかけて郿の獄に繋いだ。崔烈は董卓の死後に放免されて城門校尉・太常に復したが、初平三年(192年)、長安を攻めた李傕に殺された。 挙兵は成らず、父を失った崔州平は、やがて荊州へ流れる。そこで隆中に隠棲する若い諸葛亮と交わることになった。 『三国志』諸葛亮伝は、このときの二人をこう記している。諸葛亮は身の丈八尺、常に自らを管仲・楽毅になぞらえたが、当時の人は誰ひとりそれを認めなかった。ただ博陵の崔州平と潁川の徐庶元直だけが諸葛亮と親しく、「まことにそうだ」と言ったのである。 その後の崔州平について、史書は何も記していない。

逸話

「銅臭」——銭のにおい、という言葉は、この人の口から生まれた。 父の崔烈は、官爵が公然と売り出されていた霊帝の末、五百万銭を納めて司徒の位を買った。任命の日、天子自身が「もっと値を吊り上げられた」と漏らすような有様である。虎賁中郎将であった崔州平は、父から世評を問われてこう答えた——「論者はその銅臭を嫌っているのです」。 息子に面前で言われた崔烈は、杖を取って打ちかかった。父子の関係も、崔州平の気性も、この一景でだいたい分かる。 そして崔州平は、言うだけの人ではなかった。初平元年(190年)、西河太守として袁紹らとともに山東で兵を挙げ、反董卓の陣営に加わっている。清談の士として知られる人物が、実際には董卓討伐の当事者だったのである。 だが代償は父が払った。董卓は息子の挙兵を理由に崔烈を捕らえ、首に鎖をかけて郿の獄へ繋いだ。崔烈は董卓の死後に放免され、城門校尉・太常に復したが、二年後、長安を攻めた李傕に殺されている。買った官位をめぐって息子に罵られ、その息子の挙兵によって獄に下され、最後は乱兵に殺された生涯であった。 挙兵は実を結ばず、父も失い、崔州平は荊州へ流れた。そこで出会ったのが、隆中で畑を耕していた青年である。 『三国志』諸葛亮伝の記述は簡潔だが、意味は重い。諸葛亮は常に自らを管仲・楽毅になぞらえたが、「時人、之を許す者なし」——当時の人は誰ひとり本気にしなかった。ただ崔州平と徐庶だけが「まことにそうだ」と認めた。無位無官の若者が斉の名相と燕の名将に自分をなぞらえるのを、笑わずに受け取ったのである。中央の政争を内側から見て、官位が売られる朝廷を知り、みずから兵を挙げて敗れた男の目に、その大言は大言と映らなかった。 『三国志演義』は、この崔州平に印象深い一場を与えている。三顧の途上、劉備は風采ある人物に出会い、諸葛亮かと見まがう。それが崔州平であった。崔州平は劉備と天下の治乱を論じ、治乱には定まった運があって人力の及ぶところではない、と説いて去っていく。これから登場する諸葛亮が「人の力で天下を動かす」側に立つのに対し、その直前に置かれた宿命論である。物語は、諸葛亮の友に、諸葛亮と正反対の立場を語らせたことになる。 史実の崔州平について、荊州でのその後を記した史料はない。

評価

崔州平は、名門に生まれた見識ある士であり、隆中に隠れた若き諸葛亮の非凡を、いち早く信じた数少ない一人であった。みずからも西河太守として反董卓の兵を挙げ、そのために父を獄に落とし、挙兵も実らずに荊州へ流れた。中央の腐敗を内から見て、兵を挙げて敗れた者の目に、無位無官の青年の大言は大言と映らなかったのである。

演義

小説『三国志演義』では、劉備が諸葛亮を訪ねる三顧の途上で出会う人物として、印象深く登場する。劉備は、風采ある崔州平を諸葛亮かと見まがう。 崔州平は劉備と、天下の治乱興亡について静かに語り合う。諸葛亮の登場を焦らしつつ、その大きさを予感させる名場面を彩っている。
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