ちょうほう

張宝

生没年? – 184年 所属後漢

『地公将軍』を称した、黄巾の乱の首領の一人

能力値
統率 D
武力 D
知力 E
計略 D
政治 F
人望 E
関連年表
後漢末 張角の弟として生まれる(張角→張宝→張梁の順)
170年代 兄・張角が太平道を広め、八州に数十万の徒衆を得る
— 徒衆が「三十六方」に編成される(大方一万余・小方六七千)
184年 「蒼天已死、黄天当立、歳在甲子」を掲げ、三月五日の一斉挙兵を期す
184年 弟子の唐周が密告し、連絡役の馬元義が洛陽で車裂に処される
184年2月 計画の露見により予定を繰り上げて蜂起する
184年 「地公将軍」を称し、一方の軍を率いて官軍と戦う
184年 兄・張角が病没し、棺を発かれて屍を戮される
184年 弟・張梁が広宗で皇甫嵩に討たれる
184年11月 下曲陽で皇甫嵩・郭典に攻められ、斬られる
184年 首級と捕虜十余万人が城南に積まれ、「京観」が築かれる

略歴

張宝は、黄巾の乱を起こした張角の弟である。『後漢書』は「角の弟の宝は地公将軍と称し、宝の弟の梁は人公将軍と称した」と記しており、張角・張宝・張梁の順であったことが分かる。 兄の張角は「大賢良師」を自称し、黄老の道を奉じて弟子を養った。病人を跪かせて過ちを告白させ、符水と呪いの言葉で病を治したところ、かなりの者が癒えたため、民衆は競って信じ従った。張角は弟子八人を四方に遣わし、十余年のうちに青・徐・幽・冀・荊・揚・兗・豫の八州に数十万の徒衆を得る。そしてこれを「三十六方」に編成した。「方」は将軍の号にあたり、大方は一万余人、小方は六、七千人で、それぞれ渠帥を立てた。宗教結社が、そのまま軍団へ組み替えられたのである。 掲げた言葉は「蒼天はすでに死し、黄天がまさに立つ。歳は甲子にあり、天下大吉」であった。甲子の年——光和七年(184年)——三月五日に内外一斉に起こす計画で、洛陽では中常侍の封諝・徐奉らを内応に取り込んでいた。 ところが挙兵の前に、張角の弟子であった済南の唐周が朝廷へ密告する。内応の連絡役であった馬元義は洛陽で車裂の刑に処された。計画が割れたため、張角らは予定を繰り上げて二月に蜂起した。数十万の信徒が頭に黄色い布を巻いて各地を席巻し、後漢王朝を根底から揺るがす空前の大乱となる。 張宝は地公将軍として一方の軍を率い、官軍と戦った。 だが皇甫嵩・朱儁・盧植といった名将が討伐に立ち、乱の中心にあった張角が病没すると、黄巾軍は勢いを失っていく。皇甫嵩は広宗で張梁を討ち取ったのち、鉅鹿太守の郭典とともに下曲陽へ向かい、張宝を攻めてこれを斬った。 この戦いで得た首級と捕虜は十余万人に及び、皇甫嵩は城の南に「京観」——討ち取った首を積み上げた塚——を築いたと『後漢書』は記す。乱は、その年のうちに主力を鎮圧された。

逸話

黄巾の乱を「烏合の衆の暴発」と見るのは、組織の実態を知れば難しくなる。 張角が十余年かけて築いたものは、単なる信徒の群れではなかった。病人を跪かせて罪を告白させ、符水で治療するという宗教実践によって信を集め、八人の弟子を八州へ送って教線を広げ、そして数十万の徒衆を「三十六方」に編成した。「方」とは将軍号にあたる単位で、大方は一万余人、小方は六、七千人、それぞれに渠帥を置いた。宗教結社が、挙兵の時点で軍団として機能するよう設計されていたのである。張宝と張梁が「地公将軍」「人公将軍」を称したのも、この構造の頂点に三兄弟が座ったことを示している。 掲げた標語も、よく練られていた。「蒼天はすでに死し、黄天がまさに立つ。歳は甲子にあり、天下大吉」。後漢の天命が尽き、黄色——太平道の色——の世が来る、しかもその年は甲子である、と年号まで指定した預言であった。これを京師の寺門や州郡の役所の壁に白土で書きつけた。 計画は三月五日、洛陽と地方で同時に起こすものであった。宮中には中常侍の封諝・徐奉らを内応として抱き込んでいる。この規模と緻密さが、朝廷を震え上がらせた理由であった。 だが崩れたのは内側からである。張角の弟子であった済南の唐周が朝廷へ密告し、連絡役の馬元義は洛陽で車裂の刑に処された。計画が露見したと知った張角らは、予定を繰り上げて二月に蜂起する。本来の段取りを失ったままの見切り発車であった。 それでも乱は各地を席巻し、後漢の権威を回復不能なまでに傷つけた。三国志の物語が黄巾の乱から始まるのは、この一年が時代の区切りだったからである。 そして鎮圧のありようは、乱の規模にふさわしく酷烈であった。皇甫嵩は広宗で張梁を討ち、病没していた張角の棺を発いて屍を戮し、首を洛陽へ送った。続いて鉅鹿太守の郭典とともに下曲陽へ向かい、張宝を攻めて斬る。このときの首級と捕虜は十余万人に及び、皇甫嵩は城の南にその首を積み上げて「京観」を築いたと『後漢書』は記録している。見せしめのための塚であった。 なお、『三国志演義』の張宝は、史実とかなり違う姿で描かれる。妖術を操って風雨を呼び砂石を飛ばし、官軍を悩ませる術者となり、最期は朱儁の軍に追われた末、部下の厳政に刺殺されて首を献じられる——という筋である。正史で妖術めいた記述があるのは兄の張角の治病についてだけであり、張宝を討ったのは朱儁ではなく皇甫嵩と郭典、そして部下の裏切りによる死でもない。物語は、冒頭の敵役に怪異の色を添えることを選んだのである。

評価

張宝は、後漢末の大動乱の火蓋を切った黄巾の乱の中核を担った首領の一人である。兄弟三人で数十万の信徒を率いたその蜂起は、結果として鎮圧されたものの、後漢王朝の権威を決定的に失墜させ、群雄が各地に割拠する乱世の幕開けを告げた。 三国志の物語は、この黄巾の乱の鎮圧から始まる。張宝は、その大きな時代の転換点に立った人物である。

演義

小説『三国志演義』では、物語の冒頭を飾る黄巾の乱の首領として登場する。妖術(呪術)を使って風雨を呼び、官軍を悩ませる術者として描かれる。 劉備・関羽・張飛の義兄弟や、朱儁の軍と戦うが、やがて敗れて討たれる。英雄たちが世に出るきっかけとなる敵役の一人である。
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