ちょうりょう

張梁

生没年? – 184年 所属後漢

広宗に奮戦して散った、黄巾の『人公将軍』

能力値
統率 D
武力 D
知力 E
計略 E
政治 F
人望 E
関連年表
後漢末 張角・張宝の弟として生まれる(三兄弟の末弟)
184年2月 太平道の信徒数十万とともに蜂起する
184年 「人公将軍」を称し、乱の主力を担う
184年 冀州では盧植・董卓が相次いで攻めるが決着をつけられず
184年 広宗に拠り、「梁の衆は精勇」と記されるほど皇甫嵩を攻めあぐねさせる
184年 皇甫嵩が陣を閉ざして敵の緩みを待ち、鶏鳴に突撃する
184年 夕刻までの激戦で大破され、討ち死にする
184年 斬首三万・溺死五万・焼かれた輜重三万余両が記録される
184年11月 兄・張宝も下曲陽で斬られ、黄巾の主力が壊滅する
192年 残党のうち青州黄巾が曹操に降り、「青州兵」となる

略歴

張梁は、黄巾の乱を起こした張角の弟である。『後漢書』は「角の弟の宝は地公将軍と称し、宝の弟の梁は人公将軍と称した」と明記しており、三兄弟の末弟にあたる。 光和七年(184年)、太平道の信徒数十万が一斉に蜂起すると、張梁は「人公将軍」を称して乱の主力を担った。 蜂起の中心地であった冀州では、まず盧植が張角を攻め、続いて董卓が交代したが、いずれも決着をつけられなかった。そこへ潁川で波才を破った皇甫嵩が転じてくる。 張梁が拠ったのは広宗である。この戦いについて『後漢書』皇甫嵩伝は、注目すべき一句を残している——「梁の衆は精勇にして、嵩これを剋つこと能わず」。黄巾軍は烏合の衆として語られることが多いが、張梁が率いた兵は精強で、歴戦の皇甫嵩が攻めあぐねたのである。 皇甫嵩はそこで戦法を変えた。翌日は陣を閉ざして兵を休ませ、敵の様子をうかがう。黄巾軍の警戒が緩んだと見ると、夜のうちにひそかに兵を整え、鶏鳴とともに敵陣へ馳せかかった。戦いは夕刻まで続き、黄巾軍は大破される。張梁はこの戦いのなかで討ち死にした。 記録された損害は凄まじい。斬られた首は三万級、逃れて河に飛び込んで溺死した者は五万ほど、焼かれた輜重の車は三万余両に及んだという。 すでに張角は病没しており、その棺は発かれて屍が戮され、首は洛陽へ送られた。続いて兄の張宝も下曲陽で斬られ、黄巾の乱は主力を失う。 もっとも、乱そのものはここで終わらなかった。黄巾の残党は黒山・白波・青州などで蜂起を続け、そのうち青州黄巾は後に曹操に降って「青州兵」となり、その軍事基盤の一角を担うことになる。

逸話

『後漢書』皇甫嵩伝の一句が、張梁という人物の評価を決めている——「梁の衆は精勇にして、嵩これを剋つこと能わず」。 皇甫嵩は、潁川で波才の大軍を火計で破り、黄巾討伐の最大の功労者となった名将である。その皇甫嵩が、広宗に拠った張梁の軍を正面から攻めて勝てなかった。黄巾軍を単なる飢民の群れと見る通念に、この一行は収まらない。張梁が率いた兵は、少なくとも歴戦の官軍が力押しを諦める程度には精強であった。 そこで皇甫嵩が採った手は、戦術の教科書のような段取りであった。まず翌日は陣を閉ざして兵を休ませ、動かずに敵の様子をうかがう。攻めてこないと見た黄巾軍の警戒が緩んでくる。それを待って、夜のうちにひそかに兵を整え、鶏鳴——夜明け前——に敵陣へ突っ込んだのである。戦いは夕刻まで続いた。 その結果として記録された数字は、この乱の性格を物語っている。斬首三万級、逃れて河へ飛び込んで溺死した者は五万ほど、焼かれた輜重車は三万余両。一つの戦場で八万が死んだことになる。張梁もこのなかで討たれた。 兄弟の末路は、それぞれに苛烈であった。張角はすでに病没していたが、棺を発かれて屍を戮され、首は洛陽へ送られた。張宝は下曲陽で斬られ、その戦いの首級と捕虜十余万人は、城南に積み上げられて「京観」という塚にされた。生きて敗れた者も、すでに死んでいた者も、等しく見せしめにされたのである。 もっとも、三兄弟を滅ぼしても乱は終わらなかった。黄巾の残党は各地で蜂起を続け、黒山・白波・青州などの集団として長く存続する。そのうち青州黄巾は初平三年(192年)に曹操へ降り、精兵として編成されて「青州兵」と呼ばれた。曹操が台頭していく最初の軍事基盤は、この投降兵であった。 兄弟が掲げた「蒼天已死、黄天当立」は実現しなかった。だが後漢の天命が尽きたという彼らの見立て自体は、三十六年後に別の形で現実になる。そして、その王朝を建てた一族の最初の兵力が、かつて自分たちに従った信徒たちであったことになる。

評価

張梁は、黄巾三兄弟のなかでも勇猛をうたわれ、広宗にあって名将・皇甫嵩を一時は苦しめた将である。『後漢書』が「梁の衆は精勇にして、嵩これを剋つこと能わず」と記すとおり、その軍は飢民の群れではなく、歴戦の官軍が力押しを諦めるだけの精強さを備えていた。 後漢の屋台骨を揺るがした大乱の一翼を担い、戦場に散ったその最期は、乱世の幕開けを象徴している。

演義

小説『三国志演義』では、黄巾の乱の首領の一人として登場し、官軍と激戦を繰り広げる。 皇甫嵩の軍に広宗で敗れ、討ち死にする。物語の序盤、英雄たちが台頭する舞台を用意する敵役として描かれている。
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