街道
ほうやどう / 褒斜道

褒斜道

漢中と関中を結ぶ秦嶺越えの代表的な桟道。

種別
街道
現在地
陝西省漢中市〜宝鶏市(秦嶺)
所属州
益州
時代範囲
後漢末〜三国期

概要

秦嶺山脈を南北に貫き、漢中と関中を結ぶ代表的な桟道(かけはし道)。南口の褒谷と北口の斜谷を結ぶことからこの名がある。険しい崖に木を組んで架けた道で、蜀と魏を隔てる秦嶺越えの主要ルートの一つであった。

歴史

褒斜道は、切り立った谷あいに桟道を渡した難路でありながら、漢中と関中を最短に近い形で結ぶため、古来 軍事・交通の要路として重んじられた。三国時代には、諸葛亮の北伐や、漢中をめぐる曹操と劉備の攻防で、大軍と輜重がこの道を越えた。北口の斜谷は、234年に諸葛亮が五丈原へ進出する際の出口ともなっている。険路ゆえに補給が難しく、蜀の北伐を悩ませた道でもあった。

現在

褒斜道は現在の陝西省漢中市から宝鶏市にかけての秦嶺の谷に沿ってあった。石門など、桟道の遺構や古の刻石が残る。