関所
かんこくかん / 函谷関

函谷関

関中の東を守った古代随一の名関。三国期は潼関にその役を譲った。

種別
関所
現在地
秦函谷関=河南省三門峡市霊宝市/漢函谷関=河南省洛陽市新安県
所属州
司隷
時代範囲
後漢末〜三国期

概要

戦国以来、関中の東を扼してきた古代随一の名関。「一夫関に当たれば万夫も開くなし」と謳われた天険で、秦が東方の六国を退けた要害として知られる。後漢末には防衛線がより東の潼関へ移り、三国時代には往時ほどの軍事的比重を持たなくなった。

歴史

函谷関は黄河と秦嶺の間を縫う細道に設けられ、東から関中へ攻め入る者を長く阻んできた。戦国時代には合従した諸国の軍がこの関の前に幾度も跳ね返され、斉の孟嘗君が食客の「鶏鳴狗盗」の術で夜明け前に関を抜けた故事もこの地に伝わる。前漢の武帝は関をさらに東の新安へ移し(漢函谷関)、旧来の関(秦函谷関)と併存した。三国期には、関中の東口としての役目の多くを新設の潼関に譲り、戦場の中心からは外れていった。

現在

秦の函谷関は現在の河南省三門峡市霊宝市に、漢の函谷関は河南省洛陽市新安県にその跡を残す。いずれも中原と関中を結ぶ古道の要衝であった。