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呂布、曹操に敗れ処刑される

後漢伝


鮑出 文才ほうしゅつ ぶんさい

姓名鮑出
文才
生没年生没年不詳
所属後漢
能力 統率:  武力:  知力:  計略:  政治:  人望:
推定血液型不明
諡号---
伝評賊を一人で蹴散らして母を救い、孝烈で讃えられた農夫
主な関連人物 董卓 李傕 
関連年表 不明

略歴

鮑出、字を文才といい、京兆郡新豊の人である。兄は鮑初、鮑雅、弟は鮑成らがいる。

若いころは遊俠の群れに身を置いていた。194年から5年、三輔は董卓・李傕の乱の余波が収まらず、乱れていた。鮑出は老母と兄弟五人で新豊県で暮らしていた。

食糧がなくなったので、母に留守番させておいて五人で蓬の実を摘みに出かけ、数升を手に入れた。兄の鮑初・鮑雅、弟の鮑成は先に帰って母の食事を作り、鮑出は末弟と残って、なおも採取した。

鮑初らが家に戻ると、老母は人食いの賊数十人に襲われて、近所の老婆とともに掌に縄を通されて連れさられた後だった。兄たちは畏れ慄いて、これを追う勇気がなかった。

後から帰った鮑出は賊を追おうとすると、兄たちは「賊は大勢だ、どうしようもない」と言った。鮑出は怒って「母がその掌を貫かれて、今にも煮て食われようとしているのだ。生き長らえたとて何になる」と言い、数里の道を追い掛けた。

これを見た賊たちは道に並んで待ち受けた。鮑出は端から順に四、五人を斬り倒した。逃げる賊をさらに追うと、彼らはぐるりと鮑出を取り囲んだ。鮑出は俊敏な身のこなしで、また十数人を殺した。

賊は鮑出の母を追い立てて逃げた。鮑出はまた追って、ついに数珠繋ぎにされている二人を見つけた。奮い立って斬り込む鮑出を扱いかねて、賊は母を解いて返した。しかし近所の老婆はそのままで、彼女は鮑出に助けてほしいと哀願した。

そこで彼はまたもや賊を斬った。あまりの凄まじさに、賊は「もう卿の母を返したのに、どうして止めてくれないのだ」と言う。すかさず鮑出は老婆を指さして「これは私の嫂だ」と詐った。賊は老婆も解き放った。

無事に母を取り戻した鮑出は、母とともに南陽で假住まいした。

200年、関中への道がやっと開通したので、北に帰ろうとした。母は老齢で歩けなかったので、兄弟は一緒に輿に載せて行こうとした。鮑出は山の険しい所を通るのに、輿では危険だと考え、母を籠に入れて一人で背負って郷里に帰り着いた。

233年から236年に至り、老母は百余歳で亡くなった。鮑出はこの時七十歳を越えていたが、例のとおり喪に服した。


評価

郷里の士大夫たちは鮑出の孝烈を讃え、州郡に推薦しようとした。郡では彼を招聘したが、鮑出は「農夫は冠帯に堪えきれません」と言って辞退した。

鮑出が老いたとき、「現在では八、九十歳になるが、五、六十歳にしか見えない」と魚豢の『魏略』は伝えている。長寿をきわめて若々しさを保っていたとされている。