234年
ごじょうげんのたたかい

五丈原の戦い

諸葛亮が最期を迎えた北伐。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の故事で名高い。

時期
234年(建興12年) 〜 234年秋
場所
五丈原(陝西省宝鶏市岐山県)
結果
引き分け(諸葛亮の陣没で蜀軍が撤退)
兵力
蜀 約十万/魏 諸説あり
立脚点
正史
別名
第五次北伐

概説

234年、諸葛亮が五度目の北伐で五丈原に陣し、魏の司馬懿と渭水を挟んで対峙した戦い。持久戦のさなか、諸葛亮は過労のうちに病を得て陣没する。撤退する蜀軍を司馬懿が追撃しようとするや、蜀軍が反転の構えを見せると、生前の諸葛亮の計略を恐れて兵を退いた。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の故事で名高い、諸葛亮 最後の戦いである。

背景

たび重なる北伐の失敗の一因は、険しい秦嶺を越える兵站の困難にあった。諸葛亮はこれを克服すべく、木牛・流馬による輸送を工夫し、国力を蓄えてこの五度目の遠征に臨む。234年、諸葛亮は十万の軍を率いて斜谷を抜け、渭水の南に開けた五丈原へと進出した。

経過

五丈原に陣した諸葛亮は、兵に田を耕させる屯田を敷いて長期戦の構えを取り、決戦を挑んだ。しかし魏の司馬懿は、諸葛亮の智略を警戒して守りを固め、いかに挑発されても頑として動かない。諸葛亮が婦人の髪飾りを送って「戦えぬなら女子と同じだ」と挑発しても、司馬懿は怒りを抑えて応じなかった。対陣は長引き、そのうちに心身をすり減らした諸葛亮は病に倒れ、ついに陣中でその生涯を閉じた。

結末と影響

諸葛亮の死を秘した蜀軍が密かに撤退を始めると、これを察した司馬懿が追撃に転じた。ところが蜀軍が旗を返し太鼓を鳴らして反転の構えを見せると、司馬懿は諸葛亮がなお生きて策を巡らせているのかと疑い、あわてて兵を退いた。人々はこれを「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と語り伝えた。蜀の柱石を失った北伐はここに終わり、以後は姜維がその志を継いでいく。

逸話

対陣中、司馬懿は蜀の使者に諸葛亮の暮らしぶりを尋ね、「食は少なく、事は些細なことまで自ら裁く」と聞くと、「それでは長くは保つまい」と側近に漏らしたと伝わる。国事のすべてを一身に背負い、心血を注ぎ尽くした諸葛亮の姿は、「鞠躬尽力、死して後已む」の言葉とともに、後世まで忠誠の鑑として仰がれた。