229年
ちんそうのたたかい

陳倉の戦い

諸葛亮の第二次北伐。郝昭が千余の兵で陳倉城を守り抜き、蜀軍を退けた守城戦。

時期
228年冬(建興6年)
場所
陳倉(陝西省宝鶏市)
結果
魏の防衛(郝昭が守り抜き蜀軍撤退)
兵力
蜀 数万/魏(陳倉城)千余
立脚点
正史
別名
第二次北伐

概説

228年冬、街亭の敗北から間もなく、諸葛亮が再び兵を出して関中の要 陳倉を包囲した第二次北伐の戦い。城を守る魏の郝昭はわずか千余の兵で、諸葛亮のあらゆる攻城の手を二十余日にわたって防ぎ抜いた。兵糧の尽きた蜀軍は撤退を余儀なくされる。少数で大軍を退けた守城戦の名高い一例である。

背景

第一次北伐が街亭で頓挫したのち、諸葛亮は同じ228年の冬、魏の隙をついて再び出撃した。今度は散関を越えて関中の西端 陳倉を突く。魏はこの方面を警戒し、郝昭に陳倉城を固めさせていた。

経過

諸葛亮は数万の軍で陳倉を包囲し、旧知の使者を送って降伏を勧めたが、郝昭は頑として応じない。蜀軍は雲梯(攻城櫓)や衝車を繰り出して攻めたが、郝昭は火矢でこれを焼き、石臼を落として砕く。井闌を組んで城内へ矢を射込めば城内に二重の塀を築いて防ぎ、地下道を掘れば横堀を掘って迎え撃つ。あらゆる攻めがことごとく防がれ、二十余日を費やしても城は落ちなかった。やがて魏の援軍が近づき、兵糧も尽きた諸葛亮は撤退を決める。

結末と影響

撤退する蜀軍を魏の王双が追撃したが、諸葛亮はこれを返り討ちにして王双を斬った。第二次北伐は陳倉の堅い守りに阻まれて実を結ばなかったが、少数で大軍を退けた郝昭の奮戦は、守城の模範として長く語り継がれる。諸葛亮の北伐が、いかに困難な兵站と堅城との戦いであったかを示す一戦であった。