238年
りょうとうせいばつ

遼東征伐

燕王を称した遼東の公孫淵を、司馬懿が遠征して滅ぼした戦い。

時期
238年(景初2年)
場所
襄平(遼寧省遼陽市)
結果
魏の勝利(公孫淵を滅ぼす)
兵力
魏 約4万/公孫淵 数万
立脚点
正史

概説

238年、魏に叛いて燕王を称した遼東の公孫淵を、司馬懿が遠征して滅ぼした戦い。司馬懿は長雨に見舞われながらも本拠 襄平を包囲し、これを陥れて公孫淵を斬った。魏の直接統治の及びにくかった東北の地が平定され、司馬懿はその名声と実権をいっそう高めた。

背景

遼東では、公孫度に始まる公孫氏が三代にわたって半ば独立した政権を保っていた。孫の公孫淵は魏と呉の間を巧みに渡り歩いたが、ついに魏に叛いて燕王を自称する。魏の明帝は、司馬懿に大軍を授けて遠征を命じた。

経過

司馬懿は「往きに百日、攻めに百日、還りに百日、休みに六十日、一年あれば足りる」と征討の見通しを奏上して出陣した。遼水を渡ると、公孫淵の軍が拠る要害を避け、あえて本拠 襄平へ直進して城を包囲する。折からの長雨で軍中に不安が広がったが、司馬懿は動じず包囲を続けた。雨が上がると土山を築き、あらゆる攻城具で城を攻め立てる。兵糧の尽きた城内では餓死者が続出し、ついに襄平は陥落した。

結末と影響

公孫淵は逃れる途中で討ち取られ、三代続いた公孫氏の遼東政権は滅んだ。遼東・楽浪の地は魏の直轄となり、東北の脅威が除かれる。この遠征の成功は司馬懿の名声を不動のものとし、やがて魏の実権を握る司馬氏台頭への足がかりともなった。